上条集落 |
| 全国の歴史的(遺跡・遺構・遺物・建造物)>上条集落 |
上条集落 |
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| 読み方 | ・かみじょうしゅうらく |
| 文化財 | ・甲州市塩山下小田原上条伝統的建造物群保存地区 |
| 場 所 | ・山梨県甲州市塩山下小田原 |
| 備 考 |
上条集落:由来・歴史・概要
上条集落が何時頃成立したのかは判りませんが、麓に境内を構えている大聖金剛山福蔵院降魔寺は奈良時代の名僧として知られた行基菩薩が創建したとの由緒を伝えています。 又、降魔寺境内周辺は平安時代末期から鎌倉時代初期に当地を治めたとされる安田義定が館を設けたとの伝承も残されています。 安田義定は甲斐源氏の祖とされる源義光の孫源清光の子供で、甲斐国山梨郡八幡荘内の安田郷を本貫地とし、古代在庁官人の三枝氏の旧領を継承したと考えられています。 福蔵院に安置されている木造不動明王立像は安田義定公ゆかりの黒川金山採取祈誓の尊像とも云われ、貴重な事から甲州市指定文化財に指定されています。 義定は、領内の鉱石や砂金採集に尽力したとも云われ、塩山小田原に精錬鍛冶場を設けたとも考えられます。 特に、黒川金山は知られた存在で、「王代記」の明応7年(1498)条に記された「天地振動シテ国所損、金山クツレ」の「金山」が黒川金山の事とも云われています。 黒川には古くから修験道が深く関わっており、山伏や修験者等が修行の傍ら小規模な砂金採掘が行なわれていたと目されています。 当地の鎮守である金井加里神社は大永3年(1523)に黒川金山衆と推定される田辺土佐守が開創したと伝わる神社で、由緒が正しければ、この頃に集落が成立し産土神として当社が開創されたとも考えられます。 田辺氏は紀州熊野の出身とも云われ、戦国時代に当地に赴くと、甲斐国守護職武田家に従い黒川金山衆の一員になったとも云われています。 同様に、上条集落の隣地にある上萩原集落には黒川金山衆の一員で武田勝頼に従ったとされる中村弾左衛門尉の居館があったと伝えられる事から、上条集落もこの頃に成立したとの説もあります。 金井加里神社は元々、金矢大神が祭神だったとされ、福蔵院の本尊も鉱山の守護神、金山彦神の本地仏である十一面観世音菩薩である事から、上条集落は黒川金山とは密接な関係があったのかも知れません。 天正10年(1582)に武田家が滅びると黒川金山も衰微し、当集落も山村集落の様相を呈したと思われます。 江戸時代に入ると、概ね幕府の直轄領である天領に属し、天明4年(1784)に記録された「下小田原村上条組屋敷検地御水帳写」によると、当地の家屋の数が正徳3年(1713)に11軒だった事が記載されています。 集落中心に境内を構えている観音堂は18世紀末期頃に建てられた建物で、木造平屋建て、寄棟、茅葺、平入、桁行4間、梁間3間半、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ。 観音堂に安置されている百観音像は天明元年(1781)から天明2年(1782)にかけて塩山上萩原上原出身の木食白道によって彫刻されたもので、「萩原木食繁昌」には「上条より百体観音像の制作を依頼された」、「木食白導一代記」には「御丈七尺五寸の観世音、後光に百八體の小観音をきざミ付て浄正寺におさめ、御丈七尺五寸の観世音を上条村地蔵堂へおさめ」と記されています。 一木百観音像は像高228cm、桜材、一木造、貴重な事から甲州市指定文化財に指定されています。 明治時代以降は養蚕が盛んになった事から、屋根裏を蚕室に改修した家屋が多く、蚕に必要な採光や通風を確保する為、屋根の中央部分をせり上げた「突き上げ屋根」が見られます。 当地域で見られる「突き上げ屋根」の建物は、突き上げ屋根部分を顔に見立てると、あたかも正装した福助がお辞儀をしているように見えた事から「ふくすけ型民家」とも呼ばれています。 現在も上条集落には江戸時代中期から明治時代に建てられた茅葺屋根の古民家が11棟残され、金井加里神社や福蔵院、観音堂、道路際に建てられた庚申塔や六地蔵、道祖神等、生活と信仰が一体となった集落形態が継承され、貴重な事から「甲州市塩山下小田原上条伝統的建造物群保存地区」に選定されています。
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