冨士御室浅間神社

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冨士御室浅間神社
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冨士御室浅間神社
読み方 ・ふじおむろせんげんじんじゃ
祭 神 ・木花咲耶姫命
場 所 ・山梨県南都留郡富士河口湖町勝山
備 考
冨士御室浅間神社:由来・歴史・概要

冨士御室浅間神社は、由緒によると人皇第42代文武天皇大宝三年(699)四月七日に藤原義忠が奉斎したのが始まりと記されています。

当初は富士山の二合目の山中で奉斎され、周辺が荊棘で覆われていた為、和銅元年(708)にそれらを切り開き境内を整備すると祭場としての体裁が整えられました。

元々は社殿が無く、石柱をめぐらせた祭場の中で祭祀が行われていた事から「御室」と呼ばれ、社号の由来となっています。

庚申の養老4年(720)に祭場である霊畤を覆うような雨屋が設けられましたが、延暦19年(800)に噴火により炎上しています。

その後、坂上田村麻呂が蝦夷討伐で当地まで進軍した際、当社で戦勝祈願が行われ、見事勝利し念願が成就すると、報賽として大同2年(807)にはじめて規模が大きく立派な社殿が造営され、その景観は壮観だったとされます。

貞観6年(864)5月に富士山が噴火すると、社殿だけでなく、創建の際に信仰の対象となった霊石までも粉々に砕けています。

同年9月には全国的に疫病が蔓延し、多くの庶民が罹患した事から、朝廷は伊予親王の王孫を勅使として当社に参向させ社殿を再興すると疫病退散を祈願しています。

天慶3年(940)に藤原秀郷が平将門の乱の平定を完遂すると、凱旋で当社を訪れ流鏑馬を奉納した事が「甲斐の勝山やぶさめ祭り」の起源と伝えられています。

乙卯の天暦9年(955)、村上天皇は坂上田村麻呂所縁の当社の由緒を聞き及び、感銘を受けると、社殿修築の費用を下賜しています。

さらに、天徳2年(958)には村上天皇が当社の氏子が祭祀に難儀している事を知り、その利便性を高める為、河口湖の南岸に里宮を創建しています。

中世は和泉家の庶流で舟津代官を歴任し河口湖町舟津に居館を構えていた小林尾張守家が庇護し、文明7年(1475)には小林尾張守正喜が社殿の修復と神田の寄進を行っています。

さらに、永正5年(1503)には小林尾張守藤原道光が御室浅間神社造営のため諸国へ寄進を求めています。

その後は甲斐国守護職武田家が崇敬し、大永5年(1525)に武田信虎が大破した社殿を修復した際には、居館である武田氏館と南北で相対するように社殿の向きを変更し、太刀1腰・具足1両・馬3匹を寄進、勝山郷の棟別役を免除しています。

又、都留郡一円を支配した小山田氏も当社を庇護、天文23年(1554)5月には小山田信有が当社の籠所の上葺料を寄進しています。

さらに、弘治2年(1556)には別当の「小佐野越後守」に対し、構えのうち棟別五軒分を免除し、永禄7年(1564)には神馬が奉納されています。

武田信玄と小山田信有は当社を祈願所としていた事から、度々、武運長久や病気平癒、安産等の祈願が行われています。

天正10年(1582)に甲斐武田家と小山田家が織田・徳川連合軍の侵攻により没落すると、当社は外護者を失っています。

その後、本能寺の変で織田信長が横死、天正壬午の乱後に当地が徳川領になると家臣である鳥居元忠が岩殿城に配され、天正16年(1588)には鳥居と石燈籠が寄進されています。

天正18年(1590)に徳川家康の関東移封に伴い元忠は当地を離れましたが、新たに甲斐国守24万石に抜擢された加藤光泰が庇護しています。

加藤光泰は天正19年(1591)に社領12石1升7合を安堵したものの文禄2年(1593)に死去しています。

同年に甲斐国守として浅野長政と幸長が入部すると勝山城には浅野左右ヱ門佐氏重が配され、慶長2年(1597)には氏重が神楽殿を改築しています。

慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いの結果、甲斐国は徳川領となり、谷村城には旧領主である鳥居元忠の三男、鳥居土佐守成次が配され、慶長17年(1612)には本殿を造営しています。

寛永10年(1633)に秋元泰朝が1万8千石で入封し谷村藩を立藩すると秋元家が庇護し、慶安元年(1648)には秋元越中守富朝が社殿を修復しています。

元禄11年(1698)には幕府へ営繕費の補助を出願し、秋元但馬守喬知の協力を得て、大規模な修理を行っています。

古くから神仏習合し本地仏として大日如来が奉斎され、小室浅間明神と号していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令と修験道廃止令、吹き荒れた廃仏毀釈運動により仏教色が廃されています。

これにより社号は一旦「小室浅間神社」に改められ、後に「冨士御室浅間神社」へと改称、大正14年(1925)に県社に列格しています。

昭和49年(1974)に富士山二合目に境内を構えていた本宮の本殿が現在地に移築復元され、現在のような境内配置が確立しています。

冨士御室浅間神社本宮本殿は慶長17年(1612)に造営された建物で、入母屋、銅板葺き、正面桁行1間、背面2間、梁間1間、正面1間唐破風向拝付、貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

平成23年(2011)に富士山二合目奥宮境内地、並びに現在の本宮里宮境内地が名称「史跡富士山」として国指定史跡に指定され、平成25年(2013)には世界文化遺産「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に認定されています。

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