白鷺神社の鳥居

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白鷺神社
白鷺神社
白鷺神社
白鷺神社
名 称 ・白鷺神社の鳥居
読み方 ・しらさぎじんじゃのとりい
祭 神 ・日本武尊・配祀:大己貴命、事代主命、豊城入彦命
場 所 ・栃木県河内郡上三川町しらさぎ一丁目
建築年 ・宝永5年=1708年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造(日光石)
形 状
製作者 ・佐野天明の里出身の丸山善太郎
奉納者 ・古河出身の猪瀬彦右衛門
文化財 ・上三川町指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・元々は白鷺神社参道正面の最南端に位置し白鷺神社の一の鳥居でしたが、その後現在地に遷されたようです。扁額に刻まれている「正一位鷺大明神」は玉置喬直の書で落款も刻まれています。
備 考
白鷺神社:由来・歴史・概要
・白鷺神社は延暦2年に当地で疫病が蔓延した事から、当時の下野国の国司である平松下野守(文室高島)が疫病退散を祈念すると神託が下り、御告げに従い日本武尊の御霊を勧請し祠を設けたのが始まりと伝えられています。

別説によると祭神の日本武尊が薨去した際、白鳥となって全国に向かって飛び立ち、当地にも降り立ったとされます。

当地に疫病が蔓延すると平松下野守の霊夢に日本武尊の化身が立ち、その白鳥が降り立った霊地に祠を設けるように告げ、その御告げに従い祠を設けたのが始まりとされます。

又、別説によると嘉祥2年に当地が大旱魃に見舞われると、神からの神託を受け、その御告げに従い当地にある大石を取り除くとその下から懇々と清水が湧き出し被害を最小限に留める事が出来たそうです。

よく見ると大石には「日本」と刻まれていた事から日本武尊の御加護によるものと悟り、祠を設けて篤く奉斎したのが始まりと伝えられています。

永承年間には前九年合戦平定の為、当地まで進軍した鎮守府将軍源頼義が当社で戦勝祈願を行い進物を奉納したとされます。

建長元年に横田頼業が上三川城を築いた際、頼業は宇都宮頼綱の次男で宇都宮家は宇都宮城下に鎮座している二荒山神社を篤く崇敬していた事から、御霊を勧請し当社の相殿で奉斎しています。

康暦2年小山義政が上三川城に侵攻し絶体絶命の危機に陥りますが、小山勢が正に攻撃をしようとする刹那、突如として無数の白鷺が飛び交い城方の旗と見間違った小山勢が背後から挟撃されると思い撤退し危機を逃れた事から白鷺明神と呼ばれるようになっています。

江戸時代に入ると社領3石が安堵され、宝永4年には神位正一位を授けられています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、社号を白鷺神社に改めると明治5年に郷社に列格しています。

例祭である4月15日に白鷺神社に奉納される神楽(吉田流)は貴重な事から上三川町指定無形民俗文化財に指定されています。

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