報恩寺(宇都宮市)

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報恩寺
報恩寺の画像
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名 称 ・報恩寺
読み方 ・ほうおんじ
場 所 ・栃木県宇都宮市西原1丁目
備 考
報恩寺:由来・歴史・概要
・松嶺山報恩寺は寛永16年(1639)に宇都宮藩藩主奥平家昌の正室である仙遊院が梁津玄棟禅師を招いて開創したと伝わる臨済宗妙心寺派の寺院です。

仙遊院は本多忠勝の次女「もり姫=法明院」の事で、慶長16年(1611)に死去している事から、開山年が誤りか、仙遊院は家昌の跡を継いだ奥平忠昌が生母の追討供養の為に勧請開基とした可能性があります。

山号の松嶺山はもり姫(法明院)の戒名である「仙遊院殿松嶺宗鶴大姉」に因むもので、関係性が窺えます。

当初は現在の宇都宮市松が峯に境内を構えていましたが、その後現在地である伊賀町西原に遷されています。

藩主所縁の寺院として荘厳な堂宇が整備されていたとされますが、戊辰戦争(宇都宮戦争)の際には宇都宮城を巡り、旧幕府軍と新政府軍との激しい攻防戦が繰り広げられた為、その兵火により本堂が焼失する等大きな被害を受け、更に明治2年に発生した材木町大火に類焼し古文書や寺宝等も失われています。

報恩寺山門は戊辰戦争の兵火を免れた創建と当時のものと伝わる建物で、向唐門、茅葺、一間一戸、薬医門形式、彫刻は伝:飛騨の甚五郎の作、宇都宮市内に残る最古の木造建築として市の方からは公認されています。

本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部の内陣には釈迦牟尼仏が安置されています。

報恩寺の境内には戊辰戦争で亡くなった兵士の墓が多く、宇都宮藩士の石原五郎左衛門墓、高宮奏三郎墓、高瀬久馬造墓、鳥居慎太郎墓、鳥居鈴吉墓、鳥居釜三郎墓、篠原段六墓、上田佐輔墓、戸田三男墓、官軍七首級之墓(宇都宮藩士斎田権兵衛・田中五太夫・彦坂新太郎+佐賀藩士4名)、大垣藩士の稲井工墓、長州藩士の墓(安藤乙熊、中津井作七)、大中次郎墓、岡勝熊墓、後藤専之丞墓、戊辰薩藩戦死者墓、戦死烈士之墓等があります。

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