雄琴神社の鳥居

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雄琴神社
雄琴神社
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雄琴神社
雄琴神社
雄琴神社
名 称 ・雄琴神社の鳥居
読み方 ・おことじんじゃのとりい
祭 神 ・天照大御神、天武天皇、舎人親王、小槻今雄公
場 所 ・栃木県下都賀郡壬生町通町
建築年 ・安永7年=1778年
種 類 ・稲荷鳥居
材 質 ・銅製
形 状 ・−
製作者 ・下野佐野鋳物師:丸山善太郎藤原易親
奉納者 ・壬生の豪商加藤作太夫
文化財 ・栃木県指定文化財
評 価 ★★★★★★★★☆☆
感 想 ・−
備 考
雄琴神社:由来・歴史・概要
・雄琴神社は寛治5年(1091)に鎮守府将軍清原武則の三男とされる清原保定が祖である舎人親王の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。

寛治6年(1092)には源義家が奥州から上洛した際に当社を参拝し社領の寄進が行われています。

嘉保2年には保定に従った壬生郷中185人により盛大な式典が執り行われ、以来、壬生郷の総鎮守として奉斎されました。

当初は藤森神社と称していましたが、寛正3年に壬生胤業が近江国雄琴(現在の滋賀県大津市雄琴)に鎮座している雄琴神社から御霊を勧請合祀した事から社号を「雄琴大明神」に改めています。

壬生氏の本姓は第11代垂仁天皇の皇子を祖とする皇別氏族である小槻宿禰で、室町時代に京都の地下官人家だった小槻氏の一族の胤業が寛正3年(1462)下野国に下向し「壬生」姓を掲げたとされます。

近江国雄琴に鎮座している雄琴神社の主祭神である大炊神(今雄宿禰命)は於知別命(垂仁天皇皇子)の後裔で、仁寿元年(851)に雄琴荘を拝領し元慶8年(884)に歿。後裔の小槻氏が雄琴神社に大炊神(今雄宿禰命)を勧請合祀し「雄琴社大炊神」として篤く奉斎したとされます。

胤業は当地に下向した際に祖神である大炊神(今雄宿禰命)を勧請合祀したと思われます。

その後は歴代壬生家が崇敬庇護しましたが、天正18年(1590)に発生した小田原の役の際、壬生氏は小田原北条氏に従い、北条氏が豊臣秀吉に敗北し開城に応じた直後に当時の当主である壬生義雄が病死した事もあり家督相続が認められず没落し、当社も外護者を失っています。

天正19年(1591)に領主となった結城氏は大地主神の御霊を勧請し合祀しています。

江戸時代に入ると歴代壬生藩の藩主も篤く崇敬し、江戸時代後期に日本近海に外国船が度々出現するようになると、雄琴神社で国家安寧の祈願が行われ、神官の黒川氏はその木札を壬生藩の役人に献上しています。

慶応3年(1867)には当時の神官である黒川豊麿が壬生郷周辺の神官達を集めて「利鎌隊」を結成し、戊辰戦争の際には新政府軍の案内役等を務めています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され郷社に列格しています。

本殿は貞享3年(1686)に造営された建物で、一間社流造、銅瓦棒葺き、三方縁側高欄、左右脇障子付。拝殿は江戸時代に造営された建物で、木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺き、桁行5間、梁間3間、正面1間軒唐破風向拝付。随神門は江戸時代に造営された建物で、入母屋、銅瓦棒葺き、三間一戸、八脚単層門、桁行3間、梁間2間。

雄琴神社本殿、拝殿、随神門は貴重な事から壬生町指定有形文化財に指定されています。

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