今市本宮瀧尾神社 |
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今市本宮瀧尾神社二の鳥居 |
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名 称 | ・今市本宮瀧尾神社二の鳥居 |
読み方 | ・いまいちたきのおじんじゃにのとりい |
祭 神 | ・田心姫命、大己貴命、味耜高彦根命 |
場 所 | ・栃木県日光市今市 |
建築年 | ・400〜500年前? |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石造(大谷川産) |
形 状 | ・棟高400cm、柱間410cm |
製作者 | ・− |
奉納者 | ・− |
文化財 | ・日光市指定文化財 |
評 価 | ・★★★★★★★☆☆☆ |
感 想 | ・− |
備 考 |
今市本宮瀧尾神社:由来・歴史・概要
・今市本宮瀧尾神社は天応2年(782)に日光を開山した勝道上人が日光二荒山(男体山)の山頂に二荒山大神を奉斎した際、現在地である琵琶ヶ窪がある笄の森に開創したのが始まりと伝えられています。
日光山内の瀧尾神社は弘仁11年(820)に女峰山の神が降臨した事を受けて弘法大師空海が開創したとの由緒を持っている為、当社の方が早く開創された事になります。 琵琶ヶ窪は琵琶の形をした霊泉が湧き出る池で、神護景雲元年(767)に勝道上人が日光開山を目指し登拝を試みる為に当地を訪れた際、琵琶ヶ窪で喉の渇きを覚え霊水で喉を潤すと瀧尾権現が出現し、空から笄が降ってきた事から笄の森と呼ばれるようになったとされます。 由緒の真偽は判りませんが祭神の田心姫命は宗形三女神の一柱で水神である事から当地で奉斎するには相応しい神だったと思われます。 寛正元年(1460)に社殿の改築が行われ今日に見られる境内が整備されています。 江戸時代に入り日光東照宮が開創されると江戸と日光山内を結ぶ日光街道等が開削、今市はその宿場町に指定され境内が西の入口に位置していた事から近くに木戸が設けられています。 宝暦年間の火災により大きな被害を受けその後再建されたものの、戊辰戦争の際には幕府軍が宇都宮戦争で敗北し会津への撤退戦が当地で行われ、その兵火により再び社殿が業火に焼かれています。 明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て、明治10年に近郷十八ヶ村(現在の日光市今市)の郷社に列格しています。 明治18年に今市宿の水路が埋め立てられた際、水路の傍らに鎮座していた市神様が境内に遷されています。 栃木県:歴史的建造物・再生リスト
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今市本宮瀧尾神社三の鳥居 |
名 称 | ・今市本宮瀧尾神社三の鳥居 |
読み方 | ・いまいちたきのおじんじゃさんのとりい |
祭 神 | ・田心姫命、大己貴命、味耜高彦根命 |
場 所 | ・栃木県日光市今市 |
建築年 | ・安政3年=1856年 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石造(大谷川産) |
形 状 | ・棟高280cm、柱間235cm |
製作者 | ・− |
奉納者 | ・− |
文化財 | ・日光市指定文化財 |
評 価 | ・★★★★★★★☆☆☆ |
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