植下赤城神社の鳥居 |
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植下赤城神社 |
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名 称 | ・植下赤城神社の鳥居 |
読み方 | ・うえしもあかぎじんじゃのとりい |
祭 神 | ・彦狭島王命、日本武尊 ・相殿:武甕槌命、国常立命、譽田別命、市杵島姫命、大日?貴命 ・素戔嗚命、菅原道真公、稲倉魂命、猿田彦命、豊斟淳命 |
場 所 | ・栃木県佐野市植下町 |
建築年 | ・明和6年 |
種 類 | ・稲荷鳥居 |
材 質 | ・青銅製 |
形 状 | ・高さ405cm・周囲151cm |
製作者 | ・鋳工丸山善太郎毎昭・同甚太郎易親 |
奉納者 | ・講中神主 |
文化財 | ・佐野市指定文化財 |
評 価 | ・★★★★★★★☆☆☆ |
感 想 | ・洗練されたフォルムですが、石造鳥居に比べると柱をはじめ部材が細く高さもそれなりにある為、やや華奢な印象を受けます。ただ、銅の緑青は歴史の深みが感じられます。 |
備 考 |
植下赤城神社:由来・歴史・概要
・植下赤城神社は景行天皇55年、豊城入彦命の孫にあたる彦狭島王が毛野国に帰国の途中に春日穴咋邑で薨去し、伊保能の郷に塚を設けて奉葬した事から彦狭島王の御霊を奉斎する社が設けられたと伝えられています。
藤原秀郷が平将門の乱の際、当社で戦勝祈願し、見事勝利を得た事から神意に感謝し家臣である大門・小野寺式部両人に命じて社殿を再建、さらに天慶7年に畑十五町歩を寄進しています。その翌年、上毛野の延喜式内社である赤城神社から日本武尊の御霊を勧請した事から社号を狭島大明神から赤城大明神に改めています。 上毛野の宮(赤城神社)を上の宮、当社を下の宮として領主等からも崇敬され社領等が安堵され、宝永3年には宗源宣旨で正一位を賜っています。 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治6年に一端は郷社に列格したものの、所属等により明治9年に村社となり、明治42年に近隣に鎮座していた神社8社を合祀しています。 現在の社殿は文化文政年間に12年間かけて建てられた建物で、本殿は一間社流造、銅瓦棒葺き、三方浜縁、高欄、脇障子付。拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、正面1間軒唐破風向拝付。 上記の鳥居の他、明和8年に天明鋳物師である崎山五左右衛門藤原峯高円が制作した神鈴が佐野市指定文化財に指定されています。 祭神は彦狭島王命、日本武尊。相殿は武甕槌命、国常立命、譽田別命、市杵島姫命、大日?貴命、素戔嗚命、菅原道真公、稲倉魂命、猿田彦命、豊斟淳命。 栃木県:歴史的建造物・再生リスト
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