天明宿星宮神社の鳥居

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天明宿星宮神社
天明宿星宮神社
天明宿星宮神社
天明宿星宮神社
天明宿星宮神社
名 称 ・天明宿星宮神社の鳥居
読み方 ・てんみょうしゅくほしのみやじんじゃのとりい
祭 神 ・天津日高彦穂迩々杵命・相殿:磐裂神、根裂神
場 所 ・栃木県佐野市大蔵町
建築年 ・享保20年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・青銅製
形 状 ・高さ424cm、周囲106.06cm
製作者 ・鋳物師棟梁大工職
奉納者 ・天明宿の総氏子
文化財 ・佐野市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・バランスの取れた鳥居ですがやや高さに比べて幅広な印象を受けます。貫が島木よりほんの少しだけ短い方がさらに良かったと思います。
備 考
天明宿星宮神社:由来・歴史・概要
・天明宿星宮神社は天和3年に黒田八郎兵衛良によって筆された奥書によると久安年間に開創したと記されています。当初は七ツ塚(犬伏地区富岡)の地に鎮座し、北斗七星を模して塚を築き本地仏として星宮妙見大菩薩を奉斎していました。

中世に入ると、領主である佐野氏が庇護していたようで、山城禁止令等で慶長12年に佐野修理大夫信吉が本城を唐沢山城から佐野城に遷り、城下町を整備した際に現在地に遷座させたと伝えられています。

慶長19年に佐野氏は改易となり、佐野藩は廃藩となりましたが、幕府により日光例幣使街道が開削され、宿場町として天明宿が開かれると、宿場の住民や街道、宿場を利用する人達から篤く奉斎されました。

又、当地は彦根藩伊井家の飛地になった為、井伊掃部家から庇護され、延宝4年に井伊掃部頭藤原直澄逝去の際の遺金150両を賜り、さらに氏子や近隣住民から浄財を募り、合計350余両で天和3年に社殿を改築しています。

古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、本地仏だった虚空蔵菩薩(妙見大菩薩?)像は春日岡惣宗寺に移管され、改めて天津日高彦穂迩々杵命を祭る神社として整備され、明治5年に村社に列格しています。

上記の銅造鳥居の他、天和3年に当地出身江戸住の村山庄兵衛吉重の奉納した和算の額が佐野市指定文化財に指定されています。

参考:鳥居・探勝:栃木県編

天明宿星宮神社(栃木県佐野市大蔵町):動画
天明宿(日光例幣使街道:栃木県佐野市):動画

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