清巌寺(宇都宮市)

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清巌寺
清巌寺の画像
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名 称 ・清巌寺
読み方 ・せいがんじ
場 所 ・栃木県宇都宮市大通り五丁目
備 考
清巌寺:由来・歴史・概要
・清巌寺は建保3年(1215)に宇都宮家5代当主で鎌倉幕府の有力御家人だった宇都宮頼綱が開創した浄土宗の寺院です。

頼綱は幕府内の政争に敗れ熊谷で隠遁生活を余儀なくされると法然に帰依し承元2年(1208)には出家、さらに証空にも師事し深く念仏道を信仰した事から、幕府から許され自領に戻った際、当寺を創建したとされます。

当初は宿郷町(現在の栃木県宇都宮市宿郷)に境内を構え念仏堂を起源とする小規模なものでしたが、天正元年(1573)に当時の宇都宮家中で大きな力を持っていた芳賀高継が、兄である芳賀高照の菩提を弔うため念仏堂を現在に遷し、本格的な寺院として中興開山しています。

芳賀氏は宇都宮家の有力一族で重臣だった家柄ですが、主家との対立が激しく芳賀高照は天文18年(1549)に喜連川五月女坂の戦いで宇都宮尚綱に勝利したものの、弘治元年(1555)に益子勝宗の三男で「芳賀」姓の名跡を継いだ芳賀高定に敗れ自刃に追い込まれています。

山号は芳賀家の家名から「芳」の字を頂き「芳宮山」、院号は中興開基者の芳賀高照の名前から「高照院」、芳賀家は清原氏の後裔で下野国の有力武士団・清党の棟梁益子氏の紀党と共に紀清両党と呼ばれていた事から「清」の字を頂き寺号を「清巌寺」としました。

宇都宮貞綱が正和元年(1312)に生母の13回忌法要で奉納した梵字や阿弥陀三尊、文字等が浮彫によって施された巨大鉄製塔婆は貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

清巌寺惣門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門。山門は切妻、大谷石葺き、一間一戸、高麗門。本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、正面1間向拝付、内部の内陣のは本尊となる阿弥陀如来像が安置されています。

清巌寺境内には実信房蓮生法師(宇都宮頼綱)の墓や芳賀高照の墓、芳賀高継の墓等が残されています。

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