妙伝寺(益子町)

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妙伝寺
妙伝寺の画像
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妙伝寺の画像
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名 称 ・妙伝寺
読み方 ・みょうでんじ
場 所 ・栃木県芳賀郡益子町山本
備 考
妙伝寺:由来・歴史・概要
・嘉禄元年(122)に親鸞聖人が野州に高田山専修寺を開創した際、当村の住民である常七郎方に親鸞聖人が宿泊し、夫妻に真宗の教えを諭したとされます。

夫婦は親鸞の教えに心頭し、親鸞が当家を後にする際、自ら阿弥陀如来の画像を描いて夫婦に授けた事から、阿弥陀堂を設けて本尊として篤く奉斎したと伝えられています。

江戸時代に入り北陸地方から多くの浄土真宗の信者が入植するようになると、真宗寺院開創の機運が高まり、文化2年(1805)に毛利興愍師が照曜院佛光山妙伝寺を開山、天保10年(1839)には現在の本堂が造営されています。

ある時、境内近くに流れる小貝川に河童が巣食い、度々村人に悪事を働き余りにも目に余った為、妙伝寺の住職が説教を行い改心させました。

当地に大旱魃が発生し村人達が全滅の危機に瀕すると、改心した河童は今こそ村人に詫びる時と悟り、自分の命が尽きるまで雨乞いの祈祷を行うと、その思いが天に通じ恵みの雨が降り出し村人達は救われました。

河童の死骸は妙伝寺に運ばれ篤く弔われると、現在もミイラとして伝えられています。

妙伝寺山門は明治41年(1910)に造営され建物で、切妻、本瓦葺き、一間一戸、四脚門、棟梁は加藤伊之吉、彫刻師は岡部信之助、石工は安達丑松、左官は鈴木興吉、瓦師は軽部新之助、貴重な事から益子町指定文化財に指定されています。

毎年1月1日の正月会と5月20日の降誕会、12月11日と12日の報恩講に奉納される妙伝寺の雅楽は明治20年頃に妙伝寺三世てん慶法師が兵庫県神戸市から伝承したもので、貴重な事から益子町指定無形民俗文化財に指定されています。

本堂の襖絵は天保10年(1839)に本堂が造営された同時期に谷文晁の門弟である法橋安達三楽斎元善が描いたもので、表側に松に鳳凰、裏側に竹と梅の優れた作品として貴重な事から益子町指定文化財に指定されています。

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