報徳二宮神社

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報徳二宮神社
場 所 ・神奈川県小田原市城内
備 考
報徳二宮神社:由来・歴史・概要
・報徳二宮神社の創建は明治24年(1891)に報徳社員により小田原城の城内(二の丸小峰曲輪の一角)に社殿が造営され、明治27年(1894)に二宮尊徳の御霊を勧請したのが始まりとされます。

二宮尊徳は小田原で生まれ、農政家・思想家として小田原藩をはじめ全国600ヶ村にのぼる農政指導を行い大きな実績を残しました。

天保の大飢饉では小田原藩内でも大きな影響を受け、当時の藩主大久保忠真は領内にある村からの「検見願い町歩」に応じ、年貢の一部免除を行うと同時に二宮尊徳に命じて藩の米蔵を開放した事から餓死者が1人も居なかったとされます。

天保8年(1837)に忠真は二宮尊徳に領内における報徳仕法の施行を正式に命じ、農村の再建が行われ、この農政仕法は明治時代以降にも大きな影響を与えています。

二宮尊徳は安政3年(1856)に死去しますが、彼の教えは脈々と受け継がれ全国6ヶ国(伊豆国、三河国、遠江国、駿河国、甲斐国、相模国)に創立された報徳社の総意により報徳二宮神社の創建につながりました。

明治39年(1906)に県社に列格しています。

現在の報徳二宮神社拝殿は明治42年(1909)に現在地に造営された建物で木造平屋建て、切妻、平入、銅板葺き、桁行3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り、礎石は天保の大飢饉の際、藩主の命で二之宮尊徳が藩の米蔵を開放し時の米蔵の礎石が再利用されています。

本殿は明治42年(1909)に現在地に造営された建物で一間社神明造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り。

例祭は毎年5月第3日曜日、筆祭りは毎年1月2日、神徳景仰祭は毎年9月第3日曜日。

報徳二宮神社:ストリートビュー
報徳二宮神社:付近地図

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