伝肇寺 |
| 全国の歴史的(遺跡・遺構・遺物・建造物)>伝肇寺 |
伝肇寺 |
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| 場 所 | ・神奈川県小田原市城山4丁目 |
| 備 考 |
伝肇寺:由来・歴史・概要
・伝肇寺の創建は正安2年(1300)に無極斉と呼ばれる道心者が草庵を設けたのが始まりと伝えられています。永徳年間(1381〜1383年)良肇和尚が浄土宗に改宗し関東初の念仏道場としました。
良肇和尚は北条家一族とも云われ延文4年(1359)に下総国猿島郡富田(茨城県常総市)で生まれると、父親や一族の菩提を弔う為に下総国飯沼(常総市豊岡町)報恩寺で出家したとされます。 その後、酉誉や了実、聖冏に師事し下総国横曾根村(常総市豊岡町)の法性寺や飯沼弘経寺を開山し、当寺には10年余り住したと云われています。 当寺の三世道誉と四世感誉は後に増上寺の住職に就任する等の出世した事から「出世の寺」との異名があり、最盛期には紫衣勅許の際、当寺の添状が必要だったようです。 戦国時代には小田原城の城主である北条家から庇護され、特にに北条氏直は当寺十世底牛和尚を深く帰依し2万数千坪の寺領の寄進や複数の朱印状を発布し安堵を行っています。 当初は筋違橋町(現在の小田原市南町)に境内を構えていましたが、天正15年(1587)に朝倉右京進の知行地を所得し現在地に境内を遷しています。 又、北原白秋縁の寺院として知られ、大正7年(1918)に白秋が小田原に転居した際、伝肇寺の境内に「木菟の家」を設け「小田原文章」や「かやの木山の」、「あかいことり」、「ゆりかごのうた」、「あわて床屋」、「この道」等、数々の作品を生み出しています。 大正12年(1923)に発生した関東大震災により大きな被害を受け廃寺同然の状況に陥りましたが、昭和初期に千葉満定が荒廃した境内を惜しみ再興を果たしています。 本堂は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺き、平入、正面1間向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部の内陣には本尊となる阿弥陀如来像が安置されています。 足柄三十三観音霊場:第25番札所。 |
伝肇寺:ストリートビュー |
伝肇寺:付近地図 |
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