竹中の長屋門(二本松市)

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竹中の長屋門
竹中の長屋門の画像
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名 称 ・竹中の長屋門
読み方 ・たけなかのながやもん
場 所 ・福島県二本松市木幡字竹中
文化財 ・二本松市指定有形文化財
備 考
竹中の長屋門:由来・歴史・概要
・紺野家は当地を代表するような旧家で、江戸時代に二本松藩が編纂した「御領中宿村々御本陣検断名主問屋代数帳」によると紺野家は応永年間から19代にわたり木幡村の名主を歴任したと記されています。

天明3年(1783)に発生した岩木山や浅間山の噴火活動に伴う天明の大飢饉によって木幡村も甚大な被害を受け、わらの粉のもちや草木の根葉まで食べ尽くしたものの飢え死にする村人が跡を絶たず、数える事が出来ない程だったとされます。

当時の内木幡村名主の紺野武左衛門嘉簇はその惨状を目の当たりにし、当時の村の様子と、今後は飢饉に備えて日頃から蓄えを心がける事を教訓にする事を石碑(天明為民の碑)に刻み木幡山隠津島神社の境内に奉納しています。

寛政9年(1797)に大槻村の村人が小原田村に入って松木を伐採した事で激しく対立すると木幡村名主紺野源五右衛門と荒井村名主遠藤源四郎の仲介により和解が成立した事から、紺野家は周辺の村々からも信任が篤かった事が窺えます。

文政元年(1818)9月には時の内木幡村名主紺野家の寄進で木幡山隠津島神社の一之鳥居が寄進されており、かなりの財力があった事が窺えます。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により木幡山隠津島神社の仏教色が一掃される事となり、奉斎していた秘仏弁才天像と十五童子像は当時の内木幡村名主紺野宗助に譲渡され、その後は自宅で安置されていましたが、昭和44年に再び隠津島神社に返納されています。

紺野家には数多くの古文書が残されており、その内で資料的価値が高い1巻・15通は貴重な事から平成15年(2003)3月25日に福島県指定文化財に指定されています。

長屋門は江戸時代中期頃に建てられた建物で、切妻、桟瓦葺き、外壁は本壁造り白漆喰仕上げ、向かって門から右側が下人(門番)小屋、左側が厩、門上は物置として利用され、江戸時代中期の上層農家の長屋門の遺構として貴重な事から昭和51年(1976)12月1日に二本松市指定文化財に指定されています。

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