佐牟乃神社の鳥居

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佐牟乃神社
佐牟乃神社
佐牟乃神社
名 称 ・佐牟乃神社の鳥居
読み方 ・さむのじんじゃのとりい
祭 神 ・−
場 所 ・福島県喜多方市字北町上
種 類 ・鹿島鳥居
材 質 ・木製
文化財 ・伝統的建造物(工作物)
評 価 ★★★★★☆☆☆☆☆
感 想 ・小型で素朴な鳥居です。笠木が遠景の為、鹿島鳥居と思われます。
備 考
佐牟乃神社:由来・歴史・概要
・佐牟乃神社が何時頃開創されのかは判りませんが、元々は小名大小田付に鎮座していたとされ、当地の百姓である神明総兵衛が現在地に遷座したと伝えられています。

佐牟乃神社の前が丁度枡形となっており、境内は軍事的に重要視されていた可能性があります。

古くから神仏習合し、隣接する満福寺が祭祀を司っていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により満福寺とは分離しています。

満福寺は永享元年に秀英和尚が開いたとも云われる真言宗智山派の寺院で、元々は護神村に境内を構えていましたが、天正年間に賢長和尚が現在地に遷し弥勒寺の末寺となっています。大正7年に再建された本堂には運慶が彫刻したと伝わる大日如来像が本尊として祭られています。

佐牟乃神社の氏子で近隣に住んでいた瓜生岩子所縁の地でもあり、境内には岩子の銅像が昭和31年に建立されています(佐藤恒三 作)。岩子は文政12年に小田付 (今の北町) の油商、若狭屋利左衛門の長女として生れ、佐牟乃神社の境内に隣接する北町公園辺りが若狭屋の屋敷跡とされ生誕地の看板が建てられています。

岩子は戊辰戦争の際、会津藩に対して理不尽で悪逆非道な行為を繰り返した新政府軍に対しても負傷兵とみれば篤い看護を尽くした事から日本のナイチンゲールとも呼ばれ、その後も社会慈善家として活躍し明治29年には女性として初めての藍綬褒章を授与されています。

拝殿に掲げられている扁額から当初は「三之大明神」と呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令後に「佐牟乃神社」に改めたようです。

喜多方市小田付が国の伝統的建造物群保存地区選定されると佐牟乃神社の社殿(本殿・拝殿)と鳥居、石灯籠、手水石等が伝統的建造物に社叢林が環境物件に指定されています。

参考:鳥居・探勝:福島県編

福島県:歴史的建造物・再生リスト

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