大山祇神社の鳥居

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大山祇神社(大芦下社・中組山神社)
大山祇神社
大山祇神社
大山祇神社
大山祇神社
名 称 ・大山祇神社の鳥居
読み方 ・おおやまづみじんじゃのとりい
祭 神 ・大山祇命
場 所 ・福島県大沼郡昭和村大芦愛宕山
建築年 ・延享4年=1747年7月
種 類 ・明神鳥居(案内板では神明鳥居)
材 質 ・石造
形 状 ・−
製作者 ・信州高遠石工
文化財 ・昭和村指定文化財(建造物)
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・案内板では神明鳥居となっていますが、私の知見では明神鳥居のように見えます。見るからに笠木、島木があり僅かですが上に反りがあり、貫も柱から出ています。さらに柱はやや内側に傾いて「転び」があり島木と貫を結ぶ額束も設けられています。
備 考
大山祇神社(大芦下社・中組山神社):由来・歴史・概要
・大山祇神社(中組山神社)が何時頃開創されたのかは判りませんが、当集落の鎮守として奉斎されてきた神社です。

一方、当地域の信仰の山である愛宕山(会津百名山第88座:標高745m)の登拝口に鎮座している事から、登拝者や登山者は当社で安全祈願してから山頂を目指したようです。

戊辰戦争の際には境内周辺が戦場となり、特に当社の社殿が会津軍の弾薬庫として利用された事で新政府軍の攻撃対象となり、その兵火により焼失しています。

当地では新政府側の金沢藩今枝隊9名、軍夫6名、高崎藩藩士2名、軍夫1名、会津藩側は藩士2名、その他1名、村民2名が戦死しており、その内新政府側9名が近くの墓地に墓(官軍戦死九人之墓:昭和村指定文化財:歴史資料)が建立されています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が廃され、周辺に奉斎されていた雷神社、若木神社、稲荷神社、疱瘡神を合祀し村社に列格しています。

大山祇神社の石段は63段あり、その内の61段目以外は全て一枚石で制作されています。石鳥居は延享4年(1747)に数多くの名工を輩出した信州高遠の石工が手掛けたものとされています。石燈籠は向かって左側が天保4年(1833)5月、向かって右側が明治27年(1894)5月に氏子達によって奉納されたものとされます。

大山祇神社石段、石鳥居、石燈籠は貴重な事から平成9年(1997)12月1日に昭和村指定有形文化財(歴史資料)に指定されています。

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