鈴岳神社

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鈴岳神社
鈴岳神社
鈴岳神社
鈴岳神社
名 称 ・鈴岳神社大鳥居
読み方 ・すずおかじんじゃおおとりい
祭 神 ・吉備津彦命、天照大神、豐受大神、早羅早松命、素盞嗚尊、猿田彦命
・大山祇命、天御中主命、応神天皇、神功皇后、賽神
場 所 ・岡山県高梁市有漢町有漢
建築年 ・貞享2年=1685年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造
形 状 ・高さ3.8m、笠木(横)約5m
製作者 ・石工:長兵衛
奉納者 ・−
文化財 ・高梁市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想
備 考
鈴岳神社:由来・歴史・概要
・鈴岳神社が何時頃開創されたのかは不詳ですが、当初は高田原に鎮座していました。

詳細は判りませんが、桓武平氏三浦氏系の秋庭重信が承久の乱の戦功により備中国有漢郷の地頭職に就任、この秋庭氏の一族と思われる三浦義隆が青木山竜王峯に遷座し、社殿を造営、境内に三浦十二天を勧請し篤く奉斎しています。

江戸時代に入ると歴代松山藩主から庇護され、特に水谷出羽守勝美(勝明)が篤く崇敬したとされ、延宝8年(1680)には勝美(勝明)が鈴岳神社の氏子から、神鐘鋳造の材料を収集し、神鐘を鋳造奉納しています。

古くから神仏集合し「鈴大明神」、「鈴ノ宮大明神」、「鈴三社大明神」等と呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され社号を「鈴岳神社」に改めています。

明治41年(1908)に村社に列格し、明治43年(1910)に無格社69社を合祀した事を受け、大正9年(1920)に郷社に昇格、さらに大正12年(1923)に村社5社を合祀しています。

笠塔婆は貞享元年(1684)に制作されたもので、高さ177cm、塔身部高さ100cm、幅36cm、地蔵菩薩立像浮彫、高梁市指定文化財に指定されています。

石灯籠は貞享2年(1685)に奉納されたもので、総高240cm、胴部高90cm、銘がある石灯籠の中では有漢町内最古で貴重な事から高梁市指定文化財に指定されています。

手洗鉢は貞享3年(1686)に正覚が願主となり奉納されたもので、花崗岩製、高さ60cm、縦77cm、横156cm、高梁市指定文化財に指定されています。

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