宗形神社の鳥居

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宗形神社
宗形神社
宗形神社
宗形神社
名 称 ・宗形神社の鳥居
読み方 ・むなかたじんじゃのとりい
祭 神 ・御祭神:多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、田寸津比賣命
・合祀神:大己貴命、大日?命、豊宇気比賣命、須佐之男命、菅原神、伊邪那美命、速玉男命、事解男之命、大山咋命
場 所 ・岡山県赤磐市是里
建築年 ・享徳2年=1453年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(凝灰角礫岩)
形 状 ・高さ3.7m、柱の間隔2.9m、幅約4.9m
製作者 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・岡山県指定文化財
評 価 ★★★★★★★★☆☆
感 想 ・室町時代の鳥居で、銘があり制作年が明確な鳥居の中では岡山県第三位の古さがあります。たたき仕上げになっている為、表面はごつごつ感が感じられ、柱や笠木、島木は通常よりやや角度がある為、緊張感があります。
備 考
宗形神社:由来・歴史・概要
・宗形神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、伝承によると崇神天皇の御代に筑前国宗像大社から御霊を勧請し開創されたと伝わる神社です。

又、伝説によると仁徳天皇が行幸で当地を訪れた際、黒日売が当社で饗応、天皇は大変お慶びになり「やまかたに、まけるあをなもきひひとゝ、ともにしつめはたぬしくもあるか」の詩を残し、神地三四町神月若干を賜った事から「山方の大宮」と呼ばれるようになったと伝えられています。

黒日売は吉備海部直の娘で、大変美しい女性だった事から仁徳天皇から寵愛を受けたものの、大后である石之日売(葛城磐之媛)の嫉妬から身の危険を感じ実家のある吉備(岡山県)に帰郷したとされます。

格式も高く延喜式神名帳に式内社として記載されています。

江戸時代に入ると岡山藩主池田家から庇護され、慶長9年には社領名田2反、3石2斗が安堵、社殿を再建した際(貞享4年に起工し貞享5年に竣工)には、氏子及大氏人民の協力と共に池田綱政から玄米10石が下賜されています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治14年に郷社に列格し、同年に県社に昇格しています。

現在の本殿は永禄3年に浦上宗景が再建した建物で、三間社流造、銅板葺き(旧檜皮葺)、桁行3間、梁間2間、正面3間向拝付、三方浜縁、高欄、脇障子付、内部は内陣と内々陣に分かれ、内々陣は主祭神である多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、田心比賣命の三柱をそれぞれ祀る為、三室に分割、貴重な事から赤磐市指定文化財に指定されています。

宗形神社の境内は聖域だった事から古木、大木が多く、さらに標高が高い所にはアカガシ、モミ、低い所にはユズリハ、アオキ、ヤブツバキ、カクレミノ、ヤブコウジ、チトセカズラ等多種多様の植物が生育し原生に近い姿を保持している事から、社叢が岡山県の郷土記念物に指定されています。

祭神は多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、田心比賣命、大己貴命、大日霎命、豊宇氣比賣命、須佐之男命、菅原神、速玉男命、伊邪那美命、事解男命、大山咋命。

宗形神社:付近地図
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