天津神社 |
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天津神社 |
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名 称 | ・天津神社石鳥居 |
読み方 | ・あまつじんじゃいしとりい |
祭 神 | ・天兒屋根命、素戔嗚命、建御名方命 |
場 所 | ・岡山県真庭市高屋 |
建築年 | ・正徳4年(1714)9月吉祥日 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石造 |
形 状 | ・− |
製作者 | ・− |
奉納者 | ・松平越後守源宣富 |
文化財 | ・真庭市指定有形文化財 |
評 価 | ・★★★★★★★☆☆☆ |
感 想 | ・ |
備 考 |
天津神社:由来・歴史・概要
・天津神社は和銅3年(710)に開創されたと伝わる神社です。
日名地区の通世岩に巨岩があり、「天津磐境」として信仰されていた事から、この信仰が天津神社の源流と推定され社号の由来と目されています。 中世に入ると鎌倉幕府から庇護され、初代将軍源頼朝は家臣である美作守護職梶原景時に命じて壮麗な社殿が造営され、社領70石が安堵されています。 その後は歴代領主から崇敬庇護され、天正20年(1592)には宮山城主市家、又は一族と思われる市虎熊丸が獅子頭、同年に市五郎兵衛が鼻高面を寄進しています。 獅子頭(頭頂高29.5cm)と鼻高面(幅21cm、頭頂高29cm、木彫、漆塗、猿田彦神を模る)は貴重な事から昭和49年(1974)に岡山県指定文化財に指定されています。 宮山城は高田三浦氏の家臣市又次郎が築城したと云われ、戦国時代に宇喜多家が当地を支配すると市家は宇喜多家に従ったと見られ、宇喜多直家の家臣市三郎兵衛が宮山城の城将だった記録が残り、宇喜多秀家の家臣の中に市又次郎と市瀬三郎兵衛が城主だったと記されています。 秀家は慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いで西軍の主力として参陣、敗北後に八丈島に流されると市家も没落したようです。 江戸時代に入ると美作津山藩から庇護され、3代藩主森伯耆守長武が社殿を造営しています。 元禄10年(1697)に森家が改易となり松平越後守宣富が入封すると当社を篤く崇敬し正徳4年(1714)には鳥居を奉納しています。 享保11年(1726)に津山藩が減石となり明和元年(1764)以降、美作勝山藩領になると藩主である三浦家から庇護されています。 古くから神仏習合し正一位天津大明神と称し、真島郷11ヶ村の氏神として奉斎されてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、再編により高屋村等7ヶ村の氏神となっています。 明治40年に神饌幣帛料供進神社に指定され、明治44年に近隣に鎮座していた野川神社、高野神社等21社を合祀し、大正11年に郷社に列格しています。 拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付。本殿は神明造、銅板葺き、外壁は弁柄色で彩られています。 参道沿いには從三位子爵三浦基次篆額整地之碑が建立されています。
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