本荘八幡宮の鳥居

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本荘八幡宮
本荘八幡宮
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本荘八幡宮
本荘八幡宮
本荘八幡宮
本荘八幡宮
名 称 ・本荘八幡宮の鳥居
読み方 ・ほんじょうはちまんぐうのとりい
祭 神 ・品陀別命、足仲彦命、息長帯比売命
場 所 ・岡山県倉敷市児島通生
建築年 ・応永28年=1421年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(花崗岩)
形 状 ・高さ2.2m
製作者 ・−
奉納者 ・願主:塩生村住人松井紀ノ義泰
文化財 ・国指定重要文化財
評 価 ★★★★★★★★★
感 想 ・現在は本荘八幡宮の第三鳥居として本殿背後に建てられています。余り大きくないせいか、部材も洗練され端正な形状をしています。制作年が明確で如何にも典型的な意匠から当時代に制作された石鳥居の基準作になっているのも頷けます。
備 考
本荘八幡宮:由来・歴史・概要
・本荘八幡宮は大宝元年に行基菩薩が神宮寺八幡院(現在の通生山般若院)を開山した際、鎮守社として宇佐八幡宮から御霊を勧請し開創されたと伝わる神社です。

延暦23年には坂上田村麻呂が神封150戸を寄進、建治2年には熊野山の神領が分与され弘安2年に社領80石の朱印状を賜っています。

中世に入ると塩生村を本貫地とする松井家が庇護し、応永28年には松井紀ノ義泰が石鳥居を奉納し、永享7年(1435年)に例大祭が行われる日を市日と定め市を開催、さらに馬場では流鏑馬が行われるようになっています。

文明14年に本太城主源政縄・政吉が当社を破却し、本殿のみは祟りを恐れて残されたと伝えられています。領主で常山城主の三村上野介高徳が篤く奉斎されていましたが、天正3年には吉川元春・小早川隆景が常山城に侵攻しその兵火により社殿が焼失し、天正5年に再興されています。

江戸時代に入ると下津井城主池田長政が帰依し慶長10年には社領25石を寄進、その後は歴代岡山藩主の崇敬社となり明治2年まで9度にわたり社領を寄進しています。

通生庄12ケ村の総鎮守として神宮寺の社僧が奉仕し、神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治7年に郷社に列格しています。

文久元年に長州出身の絵師で志士である平安森寛齊が描いた絵馬が倉敷市指定文化財に指定されています。

参考:鳥居・探勝:岡山県編

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