近津神社の鳥居

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近津神社
近津神社
近津神社
近津神社
近津神社
名 称 ・近津神社の鳥居
読み方 ・ちかつじんじゃのとりい
祭 神 ・主祭神:天津彦火瓊々杵尊・配祀神:天児屋根命、天太玉命
場 所 ・兵庫県小野市粟生町
建築年 ・天正20年=1592年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(凝灰岩)
形 状 ・高さ2.7m、幅1.8m
製作者 ・藤原甚五郎
奉納者 ・筑前光明坊
文化財 ・兵庫県指定文化財
評 価 ★★★★★★★★☆☆
感 想 ・柱はエンタシスと呼ばれるギリシャの神殿で見られる、柱の中部から下部よりも上部が徐々に細くなる形式が採用され、日本では「胴張り」又は「徳利柱」等と呼ばれています。

その為か?、柱は粗垂直で、さらに貫の柱から先である木鼻部分が欠落している事から、ぱっと見では神明鳥居のようにも見えます。

笠木と島木は一体で構成され、反り増しではなく、全体が緩やかに曲線を描く真反りが採用されています。

備 考
近津神社:由来・歴史・概要
・近津神社は仁賢天皇8年に神々しい霊木に出現した大日如来の化身の御告げに従い開創されたと伝わる神社です。

元弘年間に発生した南北朝の動乱の兵火により荒廃しましたが、その後再興を果たし長禄年間には赤松政則が家運の隆昌の祈願を行い、播磨国と加賀国が与えられる等念願成就すると神意に感謝し社殿を造営しています。

天正6年には羽柴秀吉が三木の別所長治を攻めの戦勝祈願を行い、その際渡った加古川の渡し場を「太閤渡し」と呼ばれています。秀吉が勝利をおさめると神意に感謝し社領を寄進しています。

江戸時代に入ると本田美濃守が五反の地を寄進、その後は歴代姫路藩主等が庇護しています。

古くから神仏習合し高鍋山神宮寺法性坊慈眼院が別当寺院として祭祀を司り、本地仏として大日如来(中尊)、十一面観世音菩薩(左尊)、毘沙門天(右尊)を祭ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治7年に村社に列格しています。

天保2年に奉納された「おかげ踊り図絵馬」は縦121cm、横182cm、当時の世相が判る遺構として貴重な事から小野市指定有形民俗文化財に指定されています。

主祭神は天津彦火瓊々杵尊。配祀神は天児屋根命、天太玉命。

近津神社:付近地図
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