国安天満神社

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国安天満神社
国安天満神社
国安天満神社
国安天満神社
国安天満神社
国安天満神社
名 称 ・鳥居
読み方 ・とりい
祭 神 ・祭神:天満大神(菅原道真公、学問の神)
・配神:大年大神(池大明神)、市杵島姫命(辯財天女)
場 所 ・国安天満神社:兵庫県加古郡稲美町国安
・鳥居:兵庫県加古郡稲美町六分一
建築年 ・室町時代から江戸時代の過渡期
種 類 ・明神鳥居系
材 質 ・石造(花崗岩製)
形 状 ・高さ2.45m
製作者 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・稲美町指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・鳥居はお旅地蔵堂の境内にありますが、国安天満神社の本殿に正対して建てられており、関係性が窺えます。
備 考
国安天満神社:由来・歴史・概要
・国安天満神社は白雉4年(653)に開創したと伝わる神社で、当初は王子権現と号していたとされます。

寛平5年(893)に現在地えある御旅所に遷座し、天満大池の守護神である池大明神を合祀しています。

延喜元年(901)に菅原道眞が政争に敗れ、無実の罪で太宰府に流された際、当地が景観の素晴らし事を聞いて立ち寄ったとされます。

菅原道眞が死去すると、当地が道真と所縁が深い事から御霊が勧請され、永禄8年(1565)に社殿が再建された際に天満神社に改称しています。

天正8年(1580)、羽柴秀吉が別所氏攻めを行った際、別所氏に味方した社寺が次々と打ち壊され、当社にもその手が伸びてきましたが、御神木から大蛇が出現しギロリと秀吉を睨みつけると、恐れ慄いた秀吉は社殿を取り壊す事を中止しそそくさと立ち去ったと伝えられています。

江戸時代に入ると姫路藩から庇護され慶長6年(1601)には池田輝政が社領5石を安堵し、寛文3年(1663)には榊原式部大輔が森林二町四方を寄進しています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て、明治7年(1874)に郷社に列格しています。

現在の社殿は元禄14年(1701)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋銅板葺き、平入、桁行5間、梁間3間、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り。本殿は入母屋銅板葺き、正面千鳥破風、平入。

社宝の天神曼荼羅は室町時代末期から江戸時代初期に制作されたと推定され、菅原道真の生涯を3幅(1幅:1.26m×1.42m)で描いた貴重なもので稲美町指定文化財に指定されています。

毎年10月第2土・日曜日に開催される例祭では神輿を大池に浮ばせたり沈めたりを繰り返して豊作を祈願します。

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