北野天満神社

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北野天満神社
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北野天満神社
北野天満神社
北野天満神社
名 称 ・北野天満神社の鳥居
読み方 ・きたのてんまんじんじゃとりい
祭 神 ・主祭神:菅原道真
場 所 ・兵庫県神戸市中央区北野町3丁目
建築年 ・−
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造
形 状 ・−
製作者 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・神戸市重要伝統的建造物
・伝統的建造物(工作物)
評 価 ★★★★★☆☆☆☆☆
感 想 ・−
備 考
北野天満神社:由来・歴史・概要
・北野天満神社は治承4年(1180)に平清盛が福原京を計画した際、藤原五条大納言邦綱に命じて京都の北野天満宮から菅原道真の御霊を勧請し開創されたと伝わる神社です。

福原京は京都の平安京と同様に風水思想と四神相応に倣った都市計画が成され、福原京の内裏から見ると当地は北東方向に位置している事から鬼門鎮守として篤く奉斎されたと思われます。

邦綱は藤原盛国の子供として生れた平安時代後期の公卿で、当初は下級官人だったものの文章生から蔵人、さらには蔵人頭に取立てられる一方で、藤原忠通の家司に就任する等、出世を重ね、高倉上皇の第一の側近として重用されました。

清盛の友人でもあり、福原の新内裏造営の責任者を担い宇治野山には邦綱の邸宅が構えられています。

祭祀に当たっては別当に就任した信海と号する僧侶が司った事から当初から神仏集合の形態だった事が窺えます。

当地は軍事的な要衝だった事から、楠木正成が足利勢に討たれた湊川の戦いや、文明元年(1469)に発生した山名是豊、赤松政則連合軍と、大内政弘との兵庫津の戦いの兵火で大きな被害を受けています。

戦国時代にも、織田家を離反した荒木村重を攻める為、織田信長の命により家臣である池田恒興が当地まで進軍し陣を構えた事から、当社もその戦いに巻き込まれています。

門前は当社の創建が北野天満宮から菅原道真の御霊を勧請した事に因み「北野村」と呼ばれ、その後は当地の産土神として住民達から篤く信仰されました。

地名の発生起源は判りませんが慶長17年(1612)に記録された「北野村新開検地帳」に「北野村」が記されている事から江戸時代初期には既にこの地名が成立していた事が判ります。

永享年間には神戸村の漁師が真夜中に遭難しそうになった刹那、当社の御神木が神々しい光を放つと、真直ぐに天に向かって指示した為、それを目印にした漁師が無事に生還する事が出来た事から、益々篤く信仰されるようになったとされます。

現在の社殿は寛保2年(1724)に再建されたもので、拝殿は木造平屋建て、切妻、本瓦葺き、妻入、間口1間、奥行2間、外壁は柱のみの四方吹き放し。本殿は一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り。

北野天満神社の本殿、拝殿、鳥居、石段、石灯籠、透塀は貴重な事から神戸市指定伝統的建造物に指定されています。

境内周辺が神戸市北野町山本通重要伝統的建造物群保存地区に選定されると社殿は伝統的建造物(建築物)、鳥居、石段、石灯籠、透塀は伝統的建造物(工作物)に指定されています。

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