波豆八幡神社の鳥居

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波豆八幡神社
写 真
波豆八幡神社
波豆八幡神社
波豆八幡神社
名 称 ・波豆八幡神社の鳥居
読み方 ・はずはちまんじんじゃのとりい
祭 神 ・誉田別尊、建御名方命、建姫宮命
場 所 ・兵庫県宝塚市波豆字谷田東掛
建築年 ・応永32年=1425年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(波豆石)
形 状 ・高さ3.75m
製作者 ・酒垂神社の鳥居と同一人物又は同系統の石工
奉納者 ・−
文化財 ・兵庫県指定文化財
評 価 ★★★★★★★★☆☆
感 想 ・昭和初期に千苅ダムの嵩上げ工事の際、現在地に移築されたもので、年代が明確な石造鳥居では兵庫県内で2番目の古さを誇ります。形状はバランスがとれ保存状態もいい感じです。笠木と島木は一体で、柱間は水平、端部は僅かな反りが見られます。
備 考
波豆八幡神社:由来・歴史・概要
・波豆八幡神社は天延元年、源満政(源満仲の弟)が八幡神を勧請し開創されたと伝わる神社です。

伝承によると、境内周辺は波豆庄と呼ばれる多田源氏の荘園だった地域で、満政は源氏の氏神である八幡神から神託を受け、当社を創建したと伝えられています。

満政が隠居し波豆の里に隠棲した際、金福寺に入り厳しい修行に明け暮れると、寶珠を持った童子が出現し「此の寶珠は護国の珠なり、請う以て垂迹の印となせ、朕はこれ八幡麿なり」と告げ、宝珠を満政に授けた事から、満政は童子が八幡神の化身と悟り、童子を模した神像を一刀三拝の礼の技法によって彫刻し、一宇を設けて奉斎したと伝えられています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、村社に列格しています。

大正時代初期に千苅ダムの嵩上げ工事により水没予定地にあった石鳥居と、廃寺となっていた金福寺跡から石塔群が遷されています。

本殿は応永10年に再建された建物で、三間社流造、こけら葺き、正面三間向拝付、三方浜縁、高欄、脇障子付、建立年代が明確な建物としては最古とされ、貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

金福寺跡から遷された石塔群が貴重で三尊種子板碑(嘉暦3年)と五輪塔(康永2年)、宝篋印塔(明徳2年)、宝篋印塔(南北朝時代)が兵庫県指定文化財、笠塔婆塔身(室町時代中期)が宝塚市指定文化財に指定されています。

祭神は誉田別尊、建御名方命、建姫宮命

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