乎疑原神社の石造鳥居 |
全国の歴史的(遺跡・遺構・遺物・建造物)>乎疑原神社 |
乎疑原神社 |
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名 称 | ・乎疑原神社の石造鳥居 |
読み方 | ・おぎはらじんじゃせきぞうとりい |
祭 神 | ・主祭神:大物主神 ・配祀神:大国主神、少彦名大神、菅原道真、住吉大神 |
場 所 | ・兵庫県加西市繁昌町 |
建築年 | ・室町時代 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石製 |
形 状 | ・− |
製作者 | ・− |
奉納者 | ・− |
文化財 | ・加西市指定文化財 |
評 価 | ・★★★★★★★☆☆☆ |
感 想 | ・柱も左程太く無く洗練された印象です。柱のころび(傾斜)は小さいようです。 |
備 考 |
乎疑原神社:由来・歴史・概要
・乎疑原神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、延喜式神名帳に式内社として記載されている古社です。
当初は豊倉町の乎疑原神社の境内が鎮座地でしたが、その後当地に遷座しました。 ただし、明確な由緒は失われ、その経緯や時期については不詳で式内社「乎疑原神社」かどうかも明確ではないとの事。 その後は加東・加西三十五箇村の総社として格付けされ広く信仰を広めました。 昌泰4年に菅原道真が大宰府に左遷された道中に当社を訪れた縁で、その後、道真と親交のあった百代寺の隆全和尚が道真の御霊を勧請配祀しています。 詳細は判りませんが、当初は当地を開発した氏族が少彦名命を奉斎し、少彦名命の神祇が天津神で天少彦根命等とも呼ばれていた事から元々は「天神宮」と呼ばれ、それが原因で天神である菅原道真が祀られるようになった可能性があるそうです。 古くから神仏習合し別当寺院である百代寺が祭祀を司り「総社天神宮」や「荻原明神」と称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治7年に郷社に列格しています。 梵鐘は天文13年に鋳造されたもので、元禄5年に姫路市随願寺から賜っています。梵鐘は貴重な事から加西市指定文化に指定されています。 乎疑原神社石造五尊像は飛鳥時代(白鳳時代)に制作されたと推定される石仏で像高44cm、幅31.5cm、厚さ7.4cm、中尊の左右に2躯ずつ合計4躯の蓮台に乗る菩薩立像が彫刻され最古の石仏の一つとして貴重な事から加西市指定文化財に指定されています。 境内の隣地には白鳳時代に栄たとされる繁昌廃寺の跡があり塔、金堂、講堂、西土塁等の痕跡が確認され、普光川の河原から発見された石造五尊像は年代や場所等から繁昌廃寺と関係があると推定されています。 又、繁昌廃寺で利用されたと推定される天神山瓦窯跡出土古瓦は貴重な事から兵庫県指定文化財に指定されています。 主祭神は大物主神。配祀神は大国主神、少彦名大神、菅原道真、住吉大神(元々は少彦名大神を主祭神とする一族が奉斎していた神社で、その後、様々な御柱が合祀され何時しか大物主神が主祭神になったとも云われています)。
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乎疑原神社:付近地図 |
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