青蓮寺(太田市)

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青蓮寺
青蓮寺の画像
青蓮寺の画像
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名 称 ・青蓮寺
読み方 ・しょうれんじ
場 所 ・群馬県太田市岩松町
備 考
青蓮寺:由来・歴史・概要
・岩松山義国院青蓮寺は源義国が源祐を招いて開創されたと伝わる時宗の寺院です。

義国は源義家の三男、又は五男で義家が伝領した摂関家領上野国八幡荘を相続し上野国に版図を広げている事から当寺は平安時代後期に開創された可能性があります。

その後、義国を祖とする足利家2代目当主足利義兼の庶長子足利義純を祖とする岩松氏が領主となり、引き続き当寺を庇護したと思われます。

当初は律宗の寺院でしたが岩松家3代当主岩松政経が関東地方に布教の為に下向してきた時宗二祖他阿真教に篤く帰依した事から弘安年間(1278〜1288年)に時宗に改め中興開山しています。

政経は中興開基となり、戒名「青蓮寺殿」が寺号の由来となっています。

金山城の城主となった岩松尚純は当寺に閑居して連歌に励んだとも云われ関係性が窺えます。

当初は岩松山に境内を構えていましたが、江戸時代初期に村人達から岩松氏の館跡である現在地に遷されています。

江戸時代には徳川将軍家が新田一族の後裔を自称した事もあり、義国院追善料として寺領25石が安堵されています。

青蓮寺が所有すると紙本墨画岩松尚純像は室町時代の文亀元年に尚純自ら描いた自画像と連歌で縦79.5cm、横35.5cm、掛軸装、貴重な事から昭和56年(1981)5月6日に群馬県指定文化財に指定されています。

青蓮寺の間引き絵馬は江戸時代中期以降に広く行われた間引きを描いたもので、「子返し図」の別称があり、当時の風習が判る歴史的・民俗的価値が高い事から昭和59年(1984)12月24日に太田市指定文化財に指定されています。

山門は入母屋、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門、桁行3間、梁間2間、外壁は真壁造り板張り、上層部には花頭窓、高欄付、下層部には金剛力士像が安置されています。

本堂は木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、桁行5間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部の内陣には本尊の阿弥陀如来像が安置されています。

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