心洞寺(高崎市) |
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心洞寺 |
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名 称 | ・心洞寺 |
読み方 | ・しんとうじ |
場 所 | ・群馬県高崎市木部町 |
備 考 |
心洞寺:由来・歴史・概要
・龍谷山金清院心洞寺は、文正元年(1466)に開創したと伝わる曹洞宗の寺院です。
当地の領主である木部氏の帰依を受け、永正2年(1505)には上野国緑野郡御嶽村に境内を構えていた永源寺の三世漱恕全芳和尚(永正15年:1518年12月15日示寂)が招かれ正式な曹洞宗の寺院として開山しています。 当初は山名の金清寺平に境内を構えていましたが、天正年間(1573〜1592年)に当時の当主である木部駿河守範虎が現在地に境内を遷しています。 境内地は元々木部氏の居館があった所で、範虎が新たに木部城を築城し本城とし、居館跡が木部城から見ると北東方向に位置している事から、鬼門鎮護を期待して当寺を遷したものと考えられます。 院号寺号は範虎の戒名「全清院殿心洞芳傅居士」に起因し、境内には範虎の墓碑が建立されている事から心洞寺は範虎が中興開基者で菩提寺だった事が判ります。 又、傍らには範虎の奥方で箕輪城城主長野業政の娘である木部姫(長野姫・戒名:龍體院殿天生證真大姉)の墓碑が建立されています。 木部姫は武田信玄の上野国侵攻で、実家の箕輪城が落城した際、榛名湖まで落ち延びた後の入水し龍神になったとの伝説が伝えられています。 文政年間(1818〜1830年)に発生した火災による多くの堂宇が焼失しています。 現在の山門は文政5年(1822)に再建された建物で、入母屋、桟瓦葺き、三間一戸、八脚楼門、上層部外壁は真壁造り板張り、中央に花頭窓、高欄付、桁行3間、梁間2間。 寺宝の法華経八巻は明和年間(1764〜1772年)に木部行休が寄進したと伝えられています。 心洞寺:動画
木部氏館:動画
箕輪城:動画
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