龍門寺:由来・歴史・概要
・龍門寺は天正18年(1590)に徳川家中最高の12万石で箕輪城に入封した井伊直政が下野国富田に境内を構えている大中寺から白庵秀関大和尚を招いて開創した曹洞宗の寺院です。
境内は箕輪城から見ると北東方向に当たる為、鬼門鎮護が期待された寺院だった事が窺えます。
直政は白庵禅師を篤く帰依し慶長3年(1598)に本城を箕輪城から和田城に遷す際、白庵に地名変更を縁起の良い「鷹ヶ崎」と「松ヶ崎」のどちらを選択するべきか相談すると、白庵は幾ら縁起の良くても、動物と植物は何時か命尽きてしまうので未来永劫成功高大が続くよう「高」の字を推薦し、直政もその考えに感銘を受け「高崎」と名付けたと伝えられています。
慶長4年(1599)に直政は白庵に対し高崎城(和田城)の城下の一角に寺地を与え龍廣寺が開創しています。
ただし、白庵が去った後も当寺は引き続き存続し、境内には直政の継父である松下源太郎や旧箕輪城の城主だった長野氏の家臣である安藤九郎左衛門の墓等が建立されています。
龍門寺山門は寛政8年(1796)に井伊家の依頼により柏木沢の青山貞宴が再建した建物で、切妻、桟瓦葺き、三間一戸、薬医門形式、向唐門、唐破風下部中央には「榛名山」の山号額、貴重な事から昭和49年(1974)に高崎市指定重要文化財に指定されています。
龍門寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。
龍門寺:動画
箕輪城:動画
高崎城(和田城):動画
龍廣寺:動画
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