森田家住宅(吉岡町)

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森田家住宅
森田家住宅の画像
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名 称 ・森田家住宅
読み方 ・もりたけじゅうたく
場 所 ・群馬県北群馬郡吉岡町大字上野田字町裏
備 考
森田家住宅:由来・歴史・概要
・森田家は古代の豪族大伴金村の後裔と伝わる旧家で、江戸時代に徳川家家臣の大久保家が上州武州八ヶ村を知行した際にはその大庄屋を担いました。

三国街道の脇往還である伊香保街道が開削され、野田宿が開宿すると身分の高い人物が休息や宿泊で利用する本陣職となり、人馬を隣の宿場まで用立てする問屋人馬継立役も兼任しています。

さらに大久保村の名主も歴任、大久保村から船尾滝に至る滝沢川流域全般の山林を所有し、それ以外の村々にも土地を所有していました。

野田宿では森田家の前の高札場が設けられていた事から札の辻と呼ばれ、札の辻から西側を上之町、東側を下之町と呼んでいました。

村人や野田宿を利用する人々の安全にも尽力し、寛永11年(1634)には愛宕社を建立、宝永元年(1704)に新たな愛宕社を建立すると、旧石祠を聖天社として奉斎、文化2年(1805)にはやや小ぶりの石祠を建立、安永4年(1775)には常夜灯が整備しています。

森田家は生業の一つでもある酒造業の傍ら、学問や芸術を重んじた為、書家の森田梅園(四郎兵衛)や狩野派画家の森田梅子(門右衛門)等を輩出しています。

文化人や偉人との交流もあり、蘭医高野長英や画家渡辺華山が森田家を訪ね、幕末の志士梁川星巌も当家で逗留しています。

森田家住宅主屋は江戸時代中期に建てられた建物で、木造2階建て、切妻、銅瓦棒葺き、桁行約22m、梁間約18m、2階部は明治時代に増設し蚕室として利用されています。

森田家住宅書院は江戸時代後期に建てられた建物で、木造平屋建て、寄棟、銅瓦棒葺き、桁行約11m、梁間約8m、身分の高い人物が利用出来るように上段の間が設けられ、脇床には違い棚と天袋、地袋があり、その襖絵は狩野派の狩野了承が担当しています。又、次の間には「オトメヌリ」という独特な左官技法が使用され、群馬県内に残る書院建築の中でも屈指の規模を誇るとされます。

森田家住宅長屋門は大正時代後期に建てられた建物で、木造2階建て、入母屋、桟瓦葺き、桁行約27m、奥行約6m、軒高約5m、塗屋造り、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は海鼠壁仕上げ。

森田家住宅主屋、書院、長屋門は貴重な事から令和元年(2019)5月30日に吉岡町指定重要文化財に指定されています。

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