長源寺:由来・歴史・概要
・龍空山桜田院長源寺は正応元年(1288)に開創した浄土宗の寺院で、天台宗の山寺立石寺とは関係が深いとされます。
平安時代当時、長瀞地域は湖中だったとされ慈覚大師円仁が立石寺を開山するに当たり、仏の化身と思われる山鹿に導かれ山の山頂から当地を見下ろすと、当地の開発を思いたち大規模な水抜き工事を完遂し肥沃な耕地を造ったとされます。
長瀞の住民は円仁と導いた山鹿に感謝し、獅子舞を組織して山寺立石寺に踊りを奉納するようになったと伝えられています。
長源寺の本尊である阿弥陀如来像は慈覚大師円仁が自ら彫刻したと伝えられる事から、長瀞猪子踊は長源寺で十念を授かり、南無阿弥陀仏の名号を受け、猪子の頭に精霊を入れてから踊り始め日枝神社に奉納されます。
日枝神社は一般的には天台宗寺院の守護神で、浄土宗の当寺とは関係が薄いと思われますが、立石寺の境内には日枝神社が守護神として鎮座している事からも猪子踊りの由来を継承しています。
長瀞猪子踊は古式を伝える郷土芸能として貴重な事から東根市無形民俗文化財に指定されています。
又、長源寺は長瀞村北の宿熊野堂前の農民である武左衛門家の菩提寺だったようで、武左衛門の息子で寛政6年(1794)に僅か7歳で相撲の江戸場所に「張出前頭」として土俵に上がり人気を博した大童山文五郎(法名:大童山文勁居士)の石碑が建立されています。
山門は長瀞城の大手門を移築したと伝わる建物で、切妻、鉄板葺き、三間一戸、薬医門形式、天井は格天井で土田駒蔵作と伝わる春夏秋冬の花鳥、人物、山水絵、吉祥動物絵、中国故事等18枚の天井絵が描かれています。
長源寺(山形県東根市長瀞):動画
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