羽黒山旧一ノ鳥居(随神門華表)

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羽黒山旧一ノ鳥居(随神門華表)
羽黒山一ノ鳥居
羽黒山旧一ノ鳥居(随神門華表)
羽黒山一ノ鳥居
名 称 ・羽黒山一ノ鳥居
読み方 ・はぐろやまいちのとりい
祭 神 ・−
場 所 ・山形県鶴岡市羽黒町
建築年 ・正徳6年=1716年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造
形 状 ・−
製作者 ・−
奉納者 ・鶴岡市新町出身:深野藤右衛門
文化財 ・国指定史跡、鶴岡市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想
備 考
羽黒山旧一ノ鳥居(随神門華表):由来・歴史・概要
・室町時代の羽黒山の一ノ鳥居は大泉庄の地頭職を担った武藤氏が、政氏の代に羽黒山の別当を称し、自らの居城である大宝寺城(後の鶴ヶ岡城)の城内に巨大な鳥居を設けたのが始まりとされます。

戦国時代に武藤氏は最上家や上杉家との抗争の中、没落し大宝寺城は焼き払われた為、鳥居も焼失したと思われます。

現在、鶴ヶ岡城の城下町にある鳥居町が建立されていた所の名残とされますが、江戸時代に庄内藩が立藩し酒井氏が鶴ヶ岡城を整備した際には鳥居は再建されなかったようです。

その頃の羽黒山一ノ鳥居は現在の黄金堂の前の辺りにあり、ここが羽黒山の入口だったとされます。

随神門の前にある石造鳥居は「正徳六丙申天 五月吉祥日 奉納羽黒三所大権現寶前 華表一基 願主 鶴岡深野氏」の銘が刻まれている事から正徳6年(1716)に現在の鶴岡市新町出身の深野藤右衛門が奉納したものと明確に判っています。

奉納年は正徳6年ですが、実際は享保4年(1719)に最上川筋沢新田から黄金堂の近くまで運ばれ、そこで組み立てられたようです。

昭和37年(1962)に道路の拡幅工事に伴い、当時の石造鳥居とその前に建立されていた石燈籠が現在地に移築され、石階段等は消滅し拡幅した舗装道路となっています。

随神門華表(羽黒山旧一ノ鳥居)は貴重な事から鶴岡市指定文化財に指定されています。

又、昭和4年には麓に山形市の吉岡鉄太郎氏が寄進した大鳥居が建立され、現在はこちらが一ノ鳥居に位置づけられているようです(現在は建て替えられています)。

羽黒山旧一ノ鳥居(随神門華表):動画
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