瀧山三百坊の石鳥居

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瀧山三百坊の石鳥居
瀧山三百坊の石鳥居
瀧山三百坊の石鳥居
名 称 ・瀧山三百坊の石鳥居
読み方 ・たきやまさんびゃくぼうのいしとりい
祭 神 ・−
場 所 ・山形県山形市土坂
建築年 ・慶応2年=1866年4月8日
種 類 ・−
材 質 ・石造(凝灰岩)
形 状 ・高さ約4m、幅約3m、柱太さ約60cm
奉納者 ・岩清水村〇〇
感 想
備 考
瀧山三百坊の石鳥居:由来・歴史・概要
・瀧山は古くから周辺住民から信仰の対象となった霊山だったと推定されています。

麓には和銅元年に行基菩薩が開創したと伝わる岩波観音堂(石行寺)があり、仁寿元年に慈覚大師円仁が瀧山の山頂に自ら彫刻した薬師如来像を祭り開山したとの伝承が残されています。

その後は別当寺院である醫王山瀧山寺を中心に寺運が隆盛し山頂から麓まで山内には「三百坊」と呼ばれる程、数多くの坊舎が建立されていたそうです。

「日本三代実録」の貞観9年条に出羽国最上郡の「霊山寺」が定額寺に格付けられた事が記されていますが、この「霊山寺」が瀧山寺である可能性が高いとされます。

同じく西蔵王には承和年間に開創されたと伝わる酢川温泉神社と、和銅元年に熊野大社から御霊が勧請された熊野神社があり、酢川温泉神社を口ノ宮、熊野神社を離宮、瀧山寺を本宮とする三宮が同体(一社)とする信仰が確立されています。

信仰が広がると中央にも知られた存在となり西行法師も瀧山を訪れ、そこで見た大山桜を題材とした「たぐいなき 思ひいではの 櫻かな 薄紅の 花のにほひは」の歌を残しています。

しかし、建長3年に鎌倉幕府執権北条時頼の命により廃寺に追い込まれたとされ、それ以降は衰退したとされます。

ただし、完全に信仰が失われた訳では無く、登拝道には三百坊の石鳥居の他にも瀧山塔や石碑等の史跡が点在しています。

又、麓にある成沢の石鳥居や元木の石鳥居も瀧山の参詣道に設けらた鳥居と推定され、信仰の篤さが窺えます。

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