元木の石鳥居 |
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元木の石鳥居 |
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名 称 | ・元木の石鳥居 |
読み方 | ・もときのいしとりい |
祭 神 | ・− |
場 所 | ・山形県山形市鳥居ヶ丘 |
建築年 | ・伝:天延年間(973〜976年) |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石製(凝灰岩) |
形 状 | ・高さ351cm、左柱の径97.1cm、右柱の径92.3cm |
製作者 | ・− |
奉納者 | ・− |
文化財 | ・国指定重要文化財 |
評 価 | ・★★★★★★★★★☆ |
感 想 | ・一般的な鳥居とは異なり、見た目だけでかなりのインパクトがあります。 |
備 考 |
元木の石鳥居:由来・歴史・概要
・元木の石鳥居は伝承によると天延年間に瀧山大権現の参詣道に建立されたと伝えられています。
古くから村山地方の祖霊信仰で、住民が死去するとその遺体は端山である千歳山の麓に葬り、その御霊は千歳山の山頂に三十三年間留まり続け、やがて深山である瀧山に至ると信じられてきました。 千歳山と瀧山は一対を成す信仰の山で、仁寿元年に慈覚大師円仁が瀧山を訪れた際、数多くの瀧が流れ落ちる景観を目にして聖地と悟り霊山寺(後の瀧山寺)を開山したと伝えられています。 三大実録によると貞観9年に出羽霊山寺が定額寺に指定され、格式が高い寺院として朝廷からも認識していた事が窺えます。 最盛期には山内に三百の坊舎が建ち並んでいたとも云われ、元木の石鳥居はそのような背景から建立されたと思われます。 元木の石鳥居の方角は千歳山と瀧山の中間を指し示しているような印象を受け、両山の登拝口だったのかも知れません。 文治4年の春には西行法師も瀧山を訪れ、そこで咲いていた「大山桜」を見学し「たぐひなき おもひいではのさくらかな うすくれなゐのはなのにほひは」を残すなど広く知られた存在でしたが、正嘉2年に鎌倉幕府執権北条時頼の命により瀧山は閉山となり、以後は衰微した事から、何時しか元木の石鳥居も何の為に設けられたものかも忘れられたのかも知れません。 向かって左側の貫の柱より先が欠けているのは、天邪鬼が一夜で石鳥居を造ろうとしたところ、完成にあと僅かという刹那、夜明け前にも関わらず一番鶏が声高らかに鳴いた為、諦めて立ち去ったとの伝説が残されています。 上記の伝説は同じ最上三鳥居の一つで貫が無い清池の鳥居も似たような伝説が伝えられ共通性が見られます。 又、別の伝説によると元木の石鳥居に悪龍が巣食い、それを名立たる武士が退治しようと龍の頸を斬り付けた際、一緒に貫の端を切り落としたと伝えられています。 何れにしても、古くから貫の一部が欠損し人々からその事に関心があった事が窺えます。
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元木の石鳥居:付近地図 |
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