高房神社の鳥居

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高房神社
高房神社
高房神社
名 称 ・高房神社の石鳥居
読み方 ・たかふさじんじゃのいしとりい
祭 神 ・武甕槌神、経津主神・合併御祭神:天照皇大御神、別雷神
場 所 ・山形県東置賜郡高畠町大字元和田
建築年 ・天文7年=1538年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(石英粗面岩質凝灰岩)
形 状 ・高さ2.6m、柱間2.27m、柱の周囲2m程
製作者 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・山形県指定文化財
評 価 ★★★★★★★★☆☆
感 想 ・貫までの高さが1.9m程なので当時の平均身長を考えると余裕で利用出来たと思われます。時代的にはもう少し洗練されたフォルムでもよさそうですが、柱が太く笠木及び島木が一石からなる中世由来の無骨な鳥居となっています。又、高さに比べて横幅が広く山形県内で見られる中世鳥居の特徴が見られます。
備 考
高房神社:由来・歴史・概要
・高房神社は藤原高家、房家を祭る神社です。

当地は古代、大伴氏の領地で阿武隈の里から合子の嶺(豪士峠)から眺めた景観を見て「実に和田の景色なり」と仰った事から「和田」と呼ばれるようになりました。

平安前期の官人で藤原北家一族の藤原高房が承和7年に出羽守に任ぜられ、赴任地である下向し当地を差し掛かった際、荒廃していた和田村を救いました。村人は村の窮状を察し手を差し伸べてくれた高房を篤く感謝し、その遺徳を後世に伝える為に承和9年に祠を設けて当社を開創したと伝えられています。

当初は沢村に鎮座していましたが、天元2年に参拝に不便だった事から上和田窪の地に遷座、新たに衣冠馬上の尊像2躯を安置し二宮高房大明神と呼ばれるようになりました。天仁元年、猪野与三兵衛氏が社地を寄進した事で現在地である北和田堂山に遷座し三宮高房大明神と呼ばれるようになっています(創建時の境内地を一宮、その後の境内地を二宮、現在地を三宮と呼んでいるそうです)。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治7年に高房神社に社号を改め、明治10年に郷社に列格しています。

本殿は天保14年に再建されたもので、一間社流造、銅板葺き、総欅造。拝殿は貞享元年に再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間切妻向拝付。

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