百枝天満宮神社の鳥居

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百枝天満宮神社
百枝天満宮神社
百枝天満宮神社
百枝天満宮神社
百枝天満宮神社
名 称 ・百枝天満宮神社の鳥居
読み方 ・ももえてんまんぐうじんじゃのとりい
祭 神 ・祭神:三津首百枝霊・菅原道真公
場 所 ・滋賀県大津市坂本坂本6丁目
建築年 ・−
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造
形 状 ・−
製作者 ・−
大願主 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・伝統的建造物(工作物)
評 価 ★★★★★☆☆☆☆☆
感 想
備 考
百枝天満宮神社:由来・歴史・概要
・百枝天満宮神社が何時頃開創されたのかは不詳ですが、昭和30年に天満神社に百枝神社を合祀し、現在のような境内が構成されています。

百枝神社の祭神である三津首百枝は天台宗の開祖伝教大師最澄の父親とされる人物として知られています。

三津首百枝については不明な部分が多く、「叡岳要記」によると応神天皇30年に漢の皇帝の子孫とされる登万貴王が来日、その後、応神天皇の第九皇女を娶り「三津百枝」という名と近江国滋賀郡内の土地を賜ったとされます。

一方、三津首百枝は伝教大師最澄の父親とも云われている事から年代的にかなり開きがある為、疑問視されています。

一般的には現在の生源寺の境内付近に三津首百枝の邸宅があり、8世紀中頃に藤原藤子(妙徳)と結婚し、最澄もここで生れたとされ産湯の水を汲んだという井戸が残されています。

延暦19年頃に最澄は両親の恩を返す為に生源寺と東南寺を開創し、弘仁2年に三津首百枝が死去すると弘仁3年に京都山ノ内の妙徳の兄である藤原正雄の邸宅で一周忌法要が営まれています。

境内地が国から大津市坂本伝統的建造物群保存地区に選定されると百枝神社と天満宮神社の一間社流造 間口2尺 奥行3尺の本殿と両本殿の覆屋が伝建特定の建造物、鳥居と燈籠(4基)が伝建特定の石造物、境内に植樹されてる桜(1株)が伝建特定の環境に選定されています。

百枝天満宮神社:付近地図
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