荒神山神社の鳥居

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荒神山神社
荒神山神社
荒神山神社
名 称 ・荒神山神社の鳥居
読み方 ・こうじんやまじんじゃのとりい
祭 神 ・主祭神:火産霊神・奥津日子神・奥津比売神
・配祀:祓戸大神(瀬織津比売神・速秋津日売神・気吹戸主神・速佐須良比売神)
場 所 ・滋賀県彦根市清崎町
建築年 ・明治42年=1909年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
形 状 ・高さ9.0m、幅9.0m
製作者 ・−
奉納者 ・地元有志
文化財 ・国登録有形文化財
評 価 ★★★★★★☆☆☆☆
感 想 ・高さが9mもあるとかなり迫力があります。部材も大きいものの、高さと幅がある為、バランスが良い鳥居となっています。扁額がインパクトがあり格式を感じさせてくれます。
備 考
荒神山神社:由来・歴史・概要
・荒神山神社は天智天皇の御代に近江国に4箇所設けられた祓殿として開創されたと伝わる神社です。その4箇所とは南三郡の唐崎、西二郡の白髭社前、北三郡の木之本、中四郡(犬上郡、愛知郡、神前郡、蒲生郡)の当社とされます。

一方、山頂には4世紀末から5世紀初頭に滋賀県第二位の規模である全長124mの前方後円墳である荒神山古墳が築かれている事から、鎮座地である荒神山は被葬者一族から神聖視され、その氏神が奉斎されたのが信仰の始まりの可能性もあります。

その後、奈良時代の高僧として知られた行基菩薩が当社の奥之院である平流山奥山寺を開山、49の伽藍を造営し本尊である大日如来、脇侍として文殊菩薩と不動明王を奉斎したとされます。行基菩薩は奥山寺の守護神として三宝大荒神像を祭った事から荒神山と呼ばれるようになり、それが当社の始まりとも云われています。

江戸時代に入ると彦根藩主伊井家から帰依され大坂の陣の際には井伊直政が戦勝祈願を行い、見事勝利するとその神意に感謝し書院を造営しています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により奥山寺は廃寺となり、社号を荒神山神社に改め、明治9年に村社、明治41年に神饌幣帛料供進社に指定されています。

本殿は明治12年に造営された建物で、三間社流造、銅板葺き、正面1間向拝付。拝殿は明治28年に造営された建物で、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、正面千鳥破風、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付。渡殿は明治28年に造営された建物で、切妻、銅板葺き、妻入、間口1間、奥行2間。神饌所は明治28年に造営された建物で、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入。神楽殿は昭和3年に木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、梁間3間。以上5棟は国登録有形文化財に登録されています。

荒神山神社:付近地図
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