山田神社(佐久市)

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山田神社
山田神社の画像
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名 称 ・山田神社
読み方 ・やまだじんじゃ
場 所 ・長野県佐久市常和宮平
祭 神 ・市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命
文化財 ・社殿・神門:佐久市景観重要建造物
備 考
山田神社:由来・歴史・概要
・山田神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、蛇石(白青石)と呼ばれる怪石が自然崇拝の対象となり、当社の信仰の起源だったと思われます。

建久8年(1197)には横3尺、縦4尺8寸、高さ5寸の蛇石があった事が幕府に報告されたと伝えられている事から、これが事実とすれば鎌倉時代初期には既に蛇石が御神体として奉斎されていた可能性があります。

応永元年(1394)に八岐大蛇の御霊が蛇石に降臨したとの伝承から、「八岐=ヤマタ」に因み「山田=ヤマダ」の地名が成ったと伝えられています。

その後、当地を流れる田子川が度々氾濫を起し大きな被害を齎した事から、それを鎮める為に水神である宗形三女神(市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命)の御霊が勧請され篤く奉斎されました。

別説によると御神体の蛇石は生きているかのように毎年成長し大きくなる事から、蛇石の上部に建てられた本殿を度々改築しなければならず困っていました。そこで、宗形三女神の御霊を勧請すると不思議と成長が止まったと伝えられています。

さらに、諏訪神が勧請合祀された事で諏訪大社と関係が強くなり永禄8年(1565)に武田信玄が諏訪大社の上社下社の祭祀を再興した際に、古くから山田郷が諏訪大社の神領だった関係から御射山社の鳥居造営に村人達が負担しています。

古くから神仏集合し宗像明神、又は蛇石明神(俗称:へいびっさん)と呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色は一掃され、村社に列格し明治36年(1903)に社号を山田神社に改めています。

神門は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、桁行5間、梁間2間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、武者窓付、基礎部は境内と参道を高低差を利用した懸造りの高床式、中央に建物の床を潜るような門形式、上部は社務所と参籠殿として利用されています。

社殿は入母屋、銅瓦棒葺き、妻入、桁行1間、梁間2間の拝殿部と入母屋、銅瓦棒葺き、背面千鳥破風付、平入、桁行1間、梁間1間の本殿部が一体化した、撞木造に影響を受けた建物で、正面1間軒唐破風向拝付、三方縁側、左右脇障子付、細部には精緻な彫刻が施されています。

山田神社の社殿(案内板では本殿)と神門(案内板では楼門)は貴重な事から佐久市景観重要建造物に指定されています。

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