法善寺

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法善寺

名 称 ・法善寺
読み方 ・ほうぜんじ
宗 派 ・曹洞宗
山 号 ・仏眼山
本 尊 ・阿弥陀如来
場 所 ・長野県東筑摩郡麻績村麻
備 考
法善寺:由来・歴史・概要
・法善寺は和銅年間に定恵和尚が開創したと伝わる曹洞宗の寺院です。

当初は法相宗の寺院で岩竜山西竜寺と号し奈良興福寺の末寺と推定され、大同元年に神社・寺院の封戸について列記した「新抄格勅符抄」に記載されている山階寺(現在の興福寺)の寺封「信濃二百戸」は西竜寺があった村を指していると目されています。

明応元年に二十四世権律師西平の代に無住となりましたが、永正9年に麻績城主である服部左衛門清信が現在地に境内を遷し、善住寺(静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方)二世賢甫宗俊禅師を招いて曹洞宗の寺院として中興開山し寺号を仏眼山法善寺に改めています。

清信は村上義清に従っていた為、天文22年に行われた武田晴信(信玄)の信濃国東筑摩郡侵攻で義清が敗れると、義清と共に上杉謙信を頼り越後国に落ち延びた為、当寺は武田家の庇護下となり寺領の安堵や禁制が発布されています。

川中島の戦いの際には武田信玄が戦勝祈願の為に当寺を訪れ、前立本尊だった木造聖観音を持仏として戦に臨んだと伝えられています。

江戸時代に入ると幕府から庇護され、慶安4年に3代将軍徳川家光から寺領8石の朱印状を賜り、歴代徳川将軍家が追認しています。

山門は江戸時代後期に建てられた建物で、切妻、桟瓦葺き、一間一戸、四脚門(向唐門)、軒唐破風、総欅造、格天井、貴重な事から麻績村指定文化財に指定されています。

法善寺は寺宝が多く木造阿弥陀如来坐像、賢甫宗俊和尚出家略作法(1巻)、渡海羅漢像(武田信玄奥書)、法性院高札(武田信玄高札)、四阿屋山懸仏(御正体)が貴重な事から麻績村指定文化財に指定されています。

信濃三十三観音霊場第1番札所

参考:唐門:長野県編

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