田瀬南宮神社の鳥居

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田瀬南宮神社
田瀬南宮神社
田瀬南宮神社
田瀬南宮神社
田瀬南宮神社
名 称 ・田瀬南宮神社の鳥居
読み方 ・たせなんぐうじんじゃのとりい
祭 神 ・金山毘古命
場 所 ・岐阜県中津川市田瀬
建築年 ・元文元年=1736年又は元文3年=1738年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
形 状 ・−
製作者 ・伝:泉州出身の石工:森兵衛
奉納者 ・−
文化財 ・中津川市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・笠木が全体的に緩やかに曲線を描く真反、島木より一般的な鳥居と比べて笠木が長い特徴が見られます。根元には砂が高く積まれ、何か宗教的な理由があるような印象を受けます。
備 考
田瀬南宮神社:由来・歴史・概要
・田瀬南宮神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、貞享2年に再興されています。

伝承によると、田瀬村の鎮守は元々、市之王子に鎮座している一王子・八王子神社だったものの、寛永4年に市之王子境内地周辺の山林の所有を巡りが論争が発生し、結果的に付知村の所属になった為、一王子・八王子神社の御霊が当社に客神として勧請され、貞享2年に当社が新たな田瀬村の鎮守として再興されたと伝えられています。

当初は「南宮金山彦神社」や「南宮大明神」等と称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され社号を田瀬神社に改め明治4年に村社に列格しています(正式名は田瀬神社ですが、旧社号を引継ぎ通称として田瀬南宮神社と呼ばれています)。

又、当地が所属していた苗木藩は全国有数の廃仏毀釈を推進した藩でもあり、領内の寺院は悉く廃寺に追い込まれた為、当地区では現在でも多くが神道中心となっています。

本殿は一間社流造、こけら葺き、正面1間向拝付、三方浜縁、高欄、脇障子、浜床付き、中津川市指定文化財に指定されています。

石造社号標は文久3年に田瀬村庄屋丹羽五兵衛の4男として生れ学習院書道教師、日本書道作振興会審査委員等を歴任した丹羽海鶴の筆跡によるもので中津川市指定文化財に指定されています。

例祭(花馬祭)である10月第1土・日曜日には「湯立」、「獅子舞」等が奉納され、町内を練り歩く馬には数多くの花竹を飾り付け笛や太鼓で囃し立て豊作を祈願します。

祭神は金山毘古命。

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