上ノ島神明神社の鳥居

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上ノ島神明神社
上ノ島神明神社
上ノ島神明神社
上ノ島神明神社
上ノ島神明神社
上ノ島神明神社
名 称 ・上ノ島神明神社の鳥居
読み方 ・かみのしましんめいじんじゃのとりい
祭 神 ・天照大神
場 所 ・岐阜県各務原市川島松倉町
建築年 ・昭和10年=1935年
種 類 ・−
材 質 ・木製(鉄板覆い)
形 状 ・高さ8.2m、幅6.0m、柱径70cm
製作者 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・国登録有形文化財
評 価 ★★★★★★☆☆☆☆
感 想 ・一見すると銅製鳥居のように見えましたが、内部が木製で、表側を鉄板で覆っているようです。銅のように見えるのは鉄板の表皮の赤錆で味わい深い印象を与えてくれます。神明神社の為、神明鳥居だとは思いますが、柱は僅かに転びがあり、笠木は角柱を採用しているようなので、一般的な神明鳥居とは異なるようです。
備 考
上ノ島神明神社:由来・歴史・概要
・上ノ島神明神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、古くから尾張国河沼郷14ヶ村(現在の各務原市、羽島郡笠松町、岐南町、愛知県一宮市、江南市付近)の産土神として信仰されてきた神社です。

延喜式神名帳に式内社として記載された尾張国葉栗郡川島神社の論社で格式の高い神社だった事が窺えます。

戦国時代に坪内美濃守が松倉城を築くと境内が南西方向に位置する事から裏鬼門鎮守として篤く帰依しています。

江戸時代に入ると坪内家は大身旗本として新加納陣屋(各務原市那加新加納町)に本拠地を遷しましたが、近隣という事もあり、引き続き当社を崇敬庇護しました。

明治時代初頭に発令された神仏分離令後の、明治6年に郷社に列格しています。

本殿は昭和3年に建てられた建物で、一間社流造、銅板葺き、三方浜縁、高欄、脇障子付、正面浜床付、建築面積10u、国登録有形文化財に登録されています。

幣殿は昭和3年に建てられた建物で、木造平屋建、入母屋、銅板葺き、妻入、間口3間、梁間3間、外壁は真壁造り板張り、建築面積21u、国登録有形文化財に登録されています。

太鼓橋は昭和10年に建てられたもので、石造桁橋形式、橋長5.7m、幅員2.7m、アーチ高さ1.5m、擬宝珠高欄付、国登録有形文化財に登録されています。

手水舎は昭和10年に建てられたもので、切妻、桟瓦葺き、桁行1間、梁間1間、建築面積7.0u、国登録有形文化財に登録されています。

蕃塀は昭和12年に建てられたもので、石造、入母屋造屋根、連子窓、本体長約3.9m、全高約3.3m、屋根長約5.0m、屋根巾約0.8m、波や龍、虎、唐獅子等の彫刻、国登録有形文化財に登録されています。

境内社は天満神社、天王神社、御鍬神社、摩利支天、金刀比羅神社、稲荷神社。祭神は天照大神。

参考:鳥居・探勝:岐阜県編

上ノ島神明神社:付近地図
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