三輪神社の鳥居

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三輪神社
三輪神社
三輪神社
三輪神社
三輪神社
三輪神社
三輪神社
名 称 ・三輪神社の鳥居
読み方 ・みわじんじゃのとりい
祭 神 ・大物主神
場 所 ・岐阜県岐阜市三
建築年 ・寛文9年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
形 状 ・−
製作者 ・和泉日根郡箱造村の藤原永次
奉納者 ・−
文化財 ・岐阜市重要文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・黒カビのせいか?随分黒ずんでおり、逆に歴史の重みや荒々しいが感じられます。
備 考
三輪神社:由来・歴史・概要
・三輪神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、大和国の大神神社から御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。

一説には平安時代中期頃に奈良の三輪の地を本貫とした三輪氏一族が入植し、当地を開発した際、その守り本尊として釈迦如来(現在の真長寺の本尊)を奉斎し、鎮守社として氏神である三輪明神(大神神社から御霊)を勧請したとされます。

格式が高く「美濃国神名帳」に記載されている正二位美和大明神は当社の事とも云われています。

鎌倉時代には領主である山県氏が井水鎮護の守護神として篤く崇敬し、室町時代には同じく領主だった鷲見氏や近松氏が庇護しています。

江戸時代に入ると天領となった為、美濃代官が毎年行われる例祭の際に幣帛を献じ警護を担っています。

古くから神仏習合し別当寺院として真長寺(三輪釈迦)が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治6年に郷社に列格しています。

因みに昭和18年に県社に昇格申請を出していましたが、太平洋戦争の中、中々許可が降りず、結局終戦し社格制度が変更になった為、昇格の件は立ち消えとなっています。

本殿は永禄年間に近松光保が願主となって造営した建物を、元禄年間に再建したもので、三間社入母屋造、こけら葺き、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付、三方浜縁、高欄、脇障子、浜床付き、内部に安置されている木造神像(5躯)と共に岐阜市指定文化財に指定されています。

例祭である三輪まつりで奉納される「三輪神社稚児山の芸能」は4月4日夜の試楽と5日昼の本楽で演じられる民俗性豊かな行事で貴重な事から岐阜市重要無形民俗文化財に指定されています。

参道の杉の巨木は推定樹齢300年、樹高約20m、幹周515cm、貴重な事から岐阜市指定天然記念物に指定されています。

境内社は八幡社、山王社、御鍬社、南宮社、若宮社。

祭神は大物主神。

三輪神社:付近地図
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