中切八幡神社の鳥居

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中切八幡神社
中切八幡神社
中切八幡神社
中切八幡神社
中切八幡神社
名 称 ・中切八幡神社の鳥居
読み方 ・なかぎりはちまんじんじゃのとりい
祭 神 ・誉田別命(応神天皇)
場 所 ・岐阜県瑞浪市釜戸町
建築年 ・享保12年=1727年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製(花崗岩)
形 状 ・高さ4.55m、幅5.8m
製作者 ・石工:泉州日根郡信達之庄中村出身の山内与一郎
・石匠彫刻:松井喜兵衛正茂
奉納者 ・馬場讃岐守尚繁(旗本)
文化財 ・瑞浪市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・石造の笠木、島木が大きく反っているのが特徴で、綺麗な曲線が描かれています。
備 考
中切八幡神社:由来・歴史・概要
・中切八幡神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、小社だったものの古くから村人達が篤く奉斎していたと伝えられています。

参道から境内にかけては巨石、怪石が多く見られ、自然崇拝の対象になっていた可能性があり、古くから信仰の対象になっていたのかも知れません。

慶長12年に当地の領主で幕府旗本馬場平左衛門が再興し、改めて氏神である八幡神を勧請し当地の鎮守として篤く庇護しました。

馬場家は木曽源氏の棟梁である源(木曽)義仲を祖とする家柄で、慶長5年に発生した関ヶ原の戦いで、中山道を進軍した徳川秀忠に加勢し功績を挙げた事で旗本に取り立てられ、後に土岐郡釜戸村の釜戸陣屋を拠点として2千6百石を領する大身旗本となっています。その為、馬場家は源氏の氏神である八幡神を篤く奉斎したと思われます。

享保12年には馬場氏6代目当主馬場讃岐守尚繁が泉州(大阪) の石工山内与一郎を招いて石鳥居を寄進しています。

鳥居は当初、南東50m程離れていましたが平成25年に現在地に移築されています。

古くから、神仏習合し極楽寺が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により極楽寺とは分離し、明治10年代に極楽寺は廃寺となっています。

極楽寺の境内には馬場氏の菩提寺である天猷寺が境内を構えていましたが、その後、移転した為、その跡地に荒廃していた宿村(釜戸町宿地区)城山の中腹に岩屋観音を遷し、天猷寺の住職の隠居寺として整備されました。

岩屋観音は土岐順礼三十三所5番札所、極楽寺は善光寺参り四十八所41番札所として大いに栄えましたが明治時代に衰退し、本尊である丈六の阿弥陀如来像も大正8年の火災により焼失して、境内にあった三十三観音仏は明治45年に竜吟峡に遷されています。

本殿は一間社流造、桧皮葺、間口二間、奥行一間

境内には嘉永4年に神官となった酒井式部源由正の歌碑「 今日よりは 神に仕うる身にしあれば 君と民との幸祈るなり 」が建立されています。

祭神は誉田別命(応神天皇)。

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