菟足神社 |
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菟足神社西参道石鳥居 |
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名 称 | ・菟足神社の鳥居 |
読み方 | ・うたりじんじゃのとりい |
祭 神 | ・菟上足尼命 |
場 所 | ・愛知県豊川市小坂井町宮脇 |
建築年 | ・元禄4年=1691年 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石造(花崗岩製) |
形 状 | ・柱径45p、柱間420p、総高518p |
製作者 | ・− |
奉納者 | ・− |
文化財 | ・豊川市指定文化財 |
評 価 | ・★★★★★★★☆☆☆ |
感 想 | ・− |
備 考 |
菟足神社:由来・歴史・概要
・菟足神社の祭神である菟上足尼命は孝元天皇の後裔の葛城襲津彦命4世孫とされ、雄略天皇の御代に穂の国の国造に就任すると当地に赴任し開発に尽力し功績を挙げた事で領民達から篤く信頼されました。
菟上足尼命が死去すると領民達はその遺徳を偲び、平井の柏木浜に菟上足尼命の御霊を祀る社を設けて篤く奉斎し、白鳳15年(686)4月11日に秦石勝が現在地に遷座しています。 詳細は判りませんが白鳳13年(684)に白鳳の大地震と呼ばれる、所謂「南海トラフ巨大地震」が発生し、東海道沖も震源域の1つだった可能性が推定される事から、この地震で平井の柏木浜の社殿が倒壊、或いは津波の被害を受けて、白鳳15年に現在地に遷座したとも考えられます。 遷座地には既に八幡神社が鎮座していたと見られ、その後は菟足八幡宮等と呼ばれました。 例祭である「風まつり」はかつては中国風で人や猪が生贄として利用されていたとされ、その有様を見た三河国の国司大江定基は世の中の無常を悟り唐に留学すると出家して寂照法師を名乗る僧侶になった事が「今昔物語」や「宇治拾遺物語」に記されており、現在も12羽の雀を奉納しています。 菟足神社は格式も高く、早くに正六位上となり、貞観6年2月19日に従五位下に列格し、延喜式神名帳に式内社として記載されています。 江戸時代に入ると徳川家康が庇護し社領95石を安堵すると、歴代将軍家が追認し、領主藩主等も崇敬しています。 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され社号を「菟足神社」に改め大正7年に県社に列格しています。 社宝である大般若経五八五巻は、武蔵坊弁慶が川止めにより当社で一週間滞在した際に書上げ奉納したと伝わるもので国指定重要文化財に指定されています。 梵鐘は神仏習合時代にあった鐘楼に吊り下げられていたと推定される応安3年(1370)銘のあるもので愛知県指定文化財に指定されています。
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菟足神社:付近地図 |
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