前熊多度社

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多度社石造鳥居
多度社
多度社
多度社
名 称 ・多度社の石造鳥居
読み方 ・だどしゃのせきぞうとりい
祭 神 ・天津彦根命、武御名方命、日本武尊、須佐之男命
場 所 ・愛知県長久手市前熊志水
建築年 ・寛文元年=1661年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造(花崗岩製)
形 状 ・柱径85p、柱間202p、総高305p、笠木長397p
製作者 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・長久手市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・前熊多度社の主祭神は天津彦根命で「奉建立伊勢神明天照皇大神宮」とある為、本来、神明鳥居が採用されるのが普通ですが、何故か明神鳥居が採用されています。近隣の神明社も同年代に建立されている鳥居ですが、こちらも八幡鳥居が採用され神明鳥居ではありません。この地では鳥居の形式には余り頓着が無いのかも知れません。
備 考
前熊多度社:由来・歴史・概要
・前熊多度社が何時頃開創されたのかは判りませんが、鎮座地は香流川と神明川の合流している所で、度々洪水が発生した事から、その鎮護として多度大社(三重県桑名市多度町多度)から御霊を勧請したと伝えられています。

以来、旧前熊村の鎮守、氏神として篤く奉斎されました。

寛文10年頃に筆された「覚書」と江戸時代初期頃に筆された「寺社誌」には「権現」、宝暦2年頃に筆された「徇行記」には「多度権現祠」、天保14年に筆された「尾張誌」には「多度ノ社、氏神ナリ」と記されている事から上記の伝承を補完しています。

一方、天和元年に造営された鳥居には「奉建立伊勢神明天照皇大神宮」、大正11年の社殿屋根の葺き替え工事には「奉屋根葺替神明社」とあり、こちらを信じれば「天照皇大神宮」や「神明社」と呼ばれていた事が正しく天照大神が奉斎されていた神社だった可能性があります(境内には末社として神明社が奉斎されてた事も関係があるのかも知れません)。

明治時代初頭に発令された神仏分離令や周辺の鎮守だった諏訪社と山神を合祀した事を受け、明治5年に村社に列格しています。

毎年7月には合祀された津島神社の例祭である「前熊天王祭り」が開催、永禄5年から続く無病息災・五穀豊穣を祈願する伝統行事で、文化年間頃に名古屋市東区の古出来町で利用されていた「前熊の山車」は貴重な事から長久手市指定有形民俗文化財に指定されています。

前熊多度社:付近地図
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