大目神社

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大目神社石造鳥居
大目神社
大目神社
大目神社
大目神社
名 称 ・大目神社の石造鳥居
読み方 ・おおめじんじゃのせきぞうとりい
祭 神 ・天忍穗美美命、天乃菩日命、天津日子根命、活津日子根命
・熊野久須毘命、多岐理姫命、一寸島姫命、多岐都姫命
場 所 ・愛知県瀬戸市巡間町
建築年 ・宝暦5年乙亥9月吉日=1755年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造(花崗岩製)
形 状 ・高さ387cm、幅570cm
製作者 ・藤原氏柴田忠英
奉納者 ・−
文化財 ・瀬戸市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・大目神社の石造鳥居は瀬戸市内では山口集落に鎮座している山口八幡社の石造鳥居に次ぐ古さで、江戸時代中期の石造鳥居はこの2基しか存在しないそうです。
備 考
大目神社:由来・歴史・概要
・大目神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、延喜式神名帳に式内社として記載された大目神社や、本国帳に従三位に列格している大目天神は当社の事とされ、当初の祭神は社殿背後に大目神社古墳がある事から古墳の被葬者の氏神が奉斎された可能性があります。

大目神社古墳は直径10m程の円墳で、何時頃築造されたのかは判りませんが、大凡7世紀頃に築造されたと推定され、境内の南側には惣作・鐘場遺跡があり、古墳時代から古代までの竪穴式建物跡等が100軒以上も発見されている事から関係性が窺えます。

鎮座地が古くは「大目森」又は「御守塚」等と呼ばれていた事が社号の由来になったとも云われています。

一方、「大目」は「おおま」とも読める為、大真連氏が祖神を祀ったとも、大真では無く大貞連だったとの説もあります。その為、元々は物部氏の祖神が祀られていたとの説もあります。

その後は赤津集落の氏神として篤く奉斎され、祭神として天照大神の御子神である五男三女神合計八柱が祀られた事から八王子社等と呼ばれるようになりました。

その為、式内社大目神社の所在は判らなくなっていましたが、天保11年(1840)に神社改めが行われる事になり、「尾張国神名帳」の古写本の奥書に「奉納大目八王子宮」、当社が所有する天和3年(1683)の銘がある祈祷札に「大目八王子大明神」と記されていた事から、当社が式内社大目神社に比定されました。

明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て村社に列格しています。

大目神社:付近地図
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