糟目犬頭神社の鳥居

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糟目犬頭神社
糟目犬頭神社
糟目犬頭神社
糟目犬頭神社
糟目犬頭神社
糟目犬頭神社
名 称 ・糟目犬頭神社の鳥居
読み方 ・かすめけんとうじんじゃのとりい
祭 神 ・彦火火出見尊、犬頭霊神、豊受姫命、伊弉諾尊、伊弉册尊、素戔嗚尊
場 所 ・愛知県岡崎市宮地町字馬場
建築年 ・慶長10年=1605年
種 類 ・中山鳥居
材 質 ・石製(凝灰岩製:笏谷石)
形 状 ・高さ3.205m、幅2.55m
製作者 ・−
奉納者 ・岡崎城主本多豊後守康令(康重)
文化財 ・岡崎市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・笠木、島木は三段構成で、貫が柱内に留まっている中山鳥居の特徴を持っています。島木と柱は台輪によって接続されている事から台輪鳥居とも言えます。笠木が二層の台輪鳥居の事を越前鳥居とも言い、案内板から察すると「越前鳥居」と考えているようです。素材も越前産の笏谷石を採用している事から、越前国の影響を受けたのかも知れません。
備 考
糟目犬頭神社:由来・歴史・概要
・糟目犬頭神社は犬頭神社と糟目神社が合祀した神社です。

犬頭神社は雄略天皇6年に当地で養蚕が行われた際、守護神として養蚕の守護神を勧請し開創したと伝わる神社で、三河国神明帳には「従四位上 犬頭明神」と記されています。

糟目神社は大宝元年に彦火火出見尊の御霊を勧請し開創したと伝わり、文徳実録によると仁寿元年に従五位下の神階を賜り、三河国神明帳には「正四位下糟目明神」と記されています。

格式が高く、延喜式神名帳に式内社(三河国二六座 碧海六座 糟目神社)として記載されています。

当初は上和田の糟目森崎に鎮座していましたが、矢作川が氾濫を起し境内が大破、建久3年に犬頭神社に合祀されました。

室町時代に入ると足利将軍家が庇護し観応元年には初代将軍足利尊氏が社領100貫文を寄進しています。

江戸時代に入ると岡崎藩主から庇護され慶長7年には本多康重が本殿を造営し、慶長10年に鳥居を寄進しています。

一方、幕府からも庇護を受け慶長8年に徳川家康から社領43石が寄進されています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治5年に郷社に列格しています。

石造狛犬(1対)は慶長10年に岡崎城主本多豊後守康令(康重)が寄進したもので、貴重な事から岡崎市指定文化財に指定されています。

石造唐猫(1対)は慶長10年に市川猪兵衛正重が寄進したもので、貴重な事から岡崎市指定文化財に指定されています。

祭神は彦火火出見尊、犬頭霊神、豊受姫命、伊弉諾尊、伊弉册尊、素戔嗚尊。

参考:鳥居・探勝:愛知県編

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