四ツ足門:由来・歴史・概要
・南伊手目黒家四ツ足門は江戸時代後期に建てられた建物です。
江戸時代は農民という身分では立派な門を作る事が禁じられていましたが、仙台藩が安永年間(1772〜1781)に領内の村々の歴史や風土を把握する為に知行所単位に提出させまとめ上げた「安永風土記(風土記御用書上)」によると、仙台藩初代藩主伊達政宗の計らいにより、領内の農民の中でも特に家柄が正しいものに限っては、門を建てる事を許可した旨が記されています。
戦国時代の丸森の地は伊達領と相馬領の境界線に近く両者による激しい戦が繰り広げられ、目黒家は中世は武士だった家柄で伊達家に協力し伊達政宗が宿泊した事があった事から門を設ける事が許可されたと伝えられています。
その後、目黒家は帰農したものの、江戸時代には当地の組頭を勤め、目黒家本家として格式の高い家格を維持しました。
目黒家四ツ足門は切妻、茅葺、一間一戸、桁行2.3m、梁間2.3m、柱高さ2.3m、一般的な薬医門とは異なり、4本の柱に全て本柱と同じように荷重が掛かるようになっています。
目黒家四ツ足門は貴重な事から丸森町指定文化財に指定されています。
目黒家四ツ足門(宮城県丸森町):動画
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