専念寺:由来・歴史・概要
・寶樹山根本院専念寺は慶長11年(1606)に初代亘理領主となった伊達成実が陸奥国伊達郡粟野村(現在の福島県伊達市)に境内を構え建治年間(1275〜1278年)に開創したと伝わる専念寺二十一世了山和尚を招いて開創した時宗の寺院です。
成実は幼少時に了山和尚を師として学問を修めたとされる為、その後も良好な関係が続いていた事が窺えます。
現在の本尊である阿弥陀如来像や聖観世音菩薩像も伊達郡粟野村時代のものを引き継いでおり、伝承によると従者が背負って難所の明通峠を越え亘理の専念寺に迎え入れたと伝えられています。
当地域唯一の時宗の寺院だった事から寛保4年(1744)の遊行五十一世他阿賦存上人、嘉永元年(1848)の遊行五十七世他阿一念上人が行った東北廻国には当寺を訪れており、亘理伊達家が家臣を動員し丁重に迎えていた事が記録されています。
山門は明治4年(1871)に施行された廃藩置県や明治6年(1873)に発令された廃城令により亘理要害が廃された際、その本丸詰門が払い下げられ当地に移築したもので、数少ない亘理要害の遺構として貴重な存在です。
本堂は創建当時に建てられた建物を改修しながら現在に伝わった建物で、木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、桟瓦葺き、平入、桁行8間、梁間6間、正面1間唐破風向拝付。
その他にも上記の聖観世音菩薩像を奉斎する観音堂や証誠殿大菩薩像を奉斎する証誠殿、享和年間に造立された「地蔵菩薩坐像」等があります。
又、明治時代から昭和にかけてホトトギス派の俳人として知られる河野静雲所縁の地でもあり、大正9年(1920)には時宗総本山執事・三十九世専念寺住職に就任、昭和38年(1963)に東北に旅行に出かけた際に再び亘理を訪れ、それを記念し昭和39年(1964)に専念寺境内に河野静雲の句碑(さずかりし 露の身うきも よろこびも)が建立されています。
専念寺(宮城県亘理町):動画
亘理要害(宮城県亘理町):動画
|