円鏡寺(栗原市)の山門

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円鏡寺
円鏡寺の画像
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名 称 ・円鏡寺の薬医門
読み方 ・えんきょうじのやくいもん
場 所 ・宮城県栗原市栗駒岩ケ崎字茂庭町
建築年 ・江戸時代初期
種 類 ・薬医門
形 状 ・切妻、桟瓦葺き、三間一戸、桁行約5.5m
・入口幅2.7m、梁間約2.8m、高さ5.1m
・瓦には伊達家の家紋である「三引両」が掲げられています。
文化財 ・栗原市指定文化財
備 考
円鏡寺:由来・歴史・概要
・円鏡寺は永禄10年(1567)に良皓上人が開創したと伝わる浄土宗の寺院です。

当初は大智山円覚寺と号し栗駒中野田町の東方、浄土川に境内を構えていましたが、寺地が悪かった事から仙台藩初代藩主伊達政宗の命を受け元和2年(1616)に良皓の弟子である良恩上人残世和尚が岩ケ崎村茂庭町三迫川の畔である現在地に境内を遷し、山号を「摂取山」、寺号を「円鏡寺」に改め中興開山しています。

伝承によると岩ヶ崎城(鶴丸城)主で初代仙台藩主伊達政宗の五男である伊達摂津守宗綱は円覚寺の本尊阿弥陀如来像が名仏師として知られる春日の作品である事を聞き及び、参拝に訪れご尊顔を拝むと突如として光り輝き目まつしたそうです。

伊達政宗が領内視察で当地を訪れた際、宗綱がこの事を話すと、政宗は「目まつの本尊」と名付け御供物料として七百文を寄進すると共に、境内が霊仏を奉斎するには相応しく無いとして良恩に命じて現在地に境内を遷し、立派な堂宇を造営したと伝えられています。

山門は寛永4年(1627)に岩ヶ崎城(鶴丸城)主で政宗の六男である伊達筑前守宗信が死去すると嗣子が無く断絶し岩ヶ崎城(鶴丸城)が廃城になった為、城門の一つを遷したとも、元和2年(1616)に良皓が中興した際に伊達家により桁行七間、梁間六間の本堂をはじめ庫裏、寮、山門が造営された事から、その当時のものとも云われています。

円鏡寺山門は貴重な事から栗駒市指定文化財に指定されています。

参考:薬医門:宮城県編

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