皎善寺(美里町)の霊廟門

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皎善寺
皎善寺の画像
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名 称 ・皎善寺の四脚門
読み方 ・こうぜんじのしきゃくもん
場 所 ・宮城県遠田郡美里町塔ノ越
建築年 ・江戸時代
種 類 ・四脚門?構造的には棟門で補助的に前後に柱を設けています。
形 状 ・切妻、桟瓦葺き、一間一戸
文化財 ・−
備 考
皎善寺:由来・歴史・概要
・皎善寺が何時頃開創されたのかは判りませんが、当初は天台宗の寺院で大仏寺と号していました。

戦国時代には既に衰微し荒廃していましたが、永正14年(1517)に当時の曹洞宗の大本山だった能登国總持寺(現在は神奈川県に移転し、跡地は總持寺祖院となっています。)から日桂順東大和尚が当地に遷り住み曹洞宗の寺院として改宗開山し、總持寺の直末寺となっています。

慶長16年(1611)に初代仙台藩の藩主伊達政宗に従った後藤信康が不動堂領226石で配され、その跡を継いだ後藤近元が加増を受け2千石で不動堂要害(西舘)を拠点に定め当地に赴任すると、元和6年(1620)に山号を「月洲山」、寺号を「皎善寺」に改め歴代後藤家の菩提寺となっています。

嘉永元年(1848)に火災により多くの堂宇が焼失し、当時の建物は元禄年間に建てられたと伝わる山門のみとなっています。

山門は切妻、銅板葺き、三間一戸、薬医門形式、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り。

本堂は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。

霊廟門は不動堂要害(西舘)の内門を移築した建物で不動堂要害(西舘)の唯一の遺構として貴重な存在です。

境内背後に高台には後藤家歴代の墓碑が建立されている他、文豪千葉亀雄の墓や大仏寺の経塚等が残されています。本尊:釈迦如来。

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