摩気神社の鳥居

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摩気神社
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摩気神社
上記の画像提供:京都フリー写真素材
摩気神社
摩気神社
摩気神社
名 称 ・摩気神社の鳥居
読み方 ・まけじんじゃのとりい
祭 神 ・大御饌津彦命
場 所 ・京都府南丹市園部町竹井宮ノ谷
建築年 ・寛文12年=1672年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
形 状 ・−
製作者 ・−
奉納者 ・小出吉久
文化財 ・京都府登録文化財
評 価 ★★★★★☆☆☆☆☆
感 想 ・笠木の反り、柱の転びがややきつ目ですが、バランスのとれた鳥居です。柱の中央付近で繋いでいます。
備 考
摩気神社:由来・歴史・概要
・摩気神社は何時頃開創されたのかは判りませんが、神護景雲4年に神封1戸が充てられている事から奈良時代には既に奉斎されていた事が窺えます。

宝暦11年の火災により以前の記録が焼失した為に詳細は不詳ですが、延喜式神名帳に名神大社として記載されている事から格式の高い神社として認識されていた事が知られています。

当初は現在地より更に奥まった山裾に鎮座し、山崩れの危険性や参拝に容易性から現在地に遷座しました。又、周辺には数多くの古墳が存在している事から被葬者一族の氏神として奉斎されていた可能性もあります。

古くは九品寺が別当寺院だったようで、九品寺を中興した白河天皇の皇子・覚行法親王が承暦3年に当寺に行幸があった際には「船井第一麻気大社」の勅額を下賜し神事祭礼を復興したと伝えられています。

江戸時代に入ると園部藩藩主小出氏の崇敬社として篤く遇され、社殿の造営や修復は藩費によって賄われています。

再興以後は胎金寺が別当寺院でしたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により廃寺となり、明治6年に郷社に列格し大正5年に府社に昇格しています。

本殿は明和4年に園部藩4代藩主小出英持の支援と氏子達の浄財なので再建された建物で、一間社流造、こけら葺き、貴重な事から覆屋を含めて京都府指定文化財に指定されています。

小出英持は幕政において延享3年に奏者番兼寺社奉行に抜擢されており、寺社に対して特別な思いがあったのかも知れません。

神門は寛文12年に園部藩4代藩主小出英タケが造営した建物で、木造平屋建、入母屋、銅板葺き、三間一戸、桁行三間、梁間二間、外壁は真壁造り板張り、形状から左右には仁王像が祀られていたと思われますが、仏教色が強い為か現在は空位となっています。神門は貴重な事から京都府登録文化財に登録されています。

小出英タケは藩政改革を尽力した人物で、タバコの専売制や藩校である教先館の設立に尽力し、大きな効果は得られませんでしたが、文化的な発展が見られたようです。

鳥居を寄進した小出吉久は園部藩2代藩主で、一般的には小出英知を名乗っています。

主祭神は大御饌津彦命。

摩気神社:付近地図
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